第16章 迎えに来たんだ。
意外に粗末なものなのだな。
サソリの隠れ処の前に立って、波平は懐で温めていた手を出した。
まあ隠れ処とはそういうものか。そもそも家を持たない磯人が人の屋にとやかく言うのも可笑しな話だ。
窓に霜が張っている。外と寒暖差があるせいだ。中は温かいのだろう。つまり、間違いなく誰かが居るという事だ。
山道を辿る道すがら、波平に警戒して騒がしく飛び立った山鳥たちがちらほらと様子を伺うように木立に戻って来ている。
「騒がせてすまないね」
木立を見上げて言うと、波平は胸元に手を置いた。姉は何故あの書付けを自分に託したのだろう。あれで牡蠣殻を縛る事を望んだのだろうか。いや、そんな事が出来る波平ではないし、第一そんなものに縛られる牡蠣殻ではない。あれは物腰と別に勝手なところがある。
それくらい杏可也もわかっている筈なのに。
案外、親心のようなものだったのかも知れないな…
牡蠣殻に対する波平の態度に、杏可也がやきもきしていたのは知っている。せめて深水師の記したあれで牡蠣殻を助ける事によって、二人の距離を縮めようと思ったのかも知れない。深水師が磯を去ったのは、波平と牡蠣殻の間柄を変転するのに十分な機会だった。だが波平は、それを見事に逃した。
溜め息が出る。
早く木の葉に戻らなければ。何しろ客分の身の上で黙って他出しているのだ。騒ぎになる前に客舎に収まっていた方がいい。
牡蠣殻を連れて戻れば、どの道騒ぎになるのは必定だが。
「……」
再び懐に手を入れて、サソリの隠れ処の入り口を眺めたとき、その扉が動いた。
身動ぎに伴って隠しの指輪がチャリと音を立てる。
干柿鬼鮫の姿が現れたのに、波平は驚かなかった。ただサソリの言葉が浮かび上がる。
どっちが受け取るかは知らねえが返しとけ。
ーこういう事か。
「お久し振りですね、干柿さん」
大柄で異相の罪人が、目を細めて見返して来る。
「これはまた意外な人が現れましたね。影ともあろう者が自らこんな山奥まで足を運ぶとは、磯はよくせき呑気になった。散開から里の方針が変わりましたかね?」
「里のやり方は変わっていません。元より磯影は腰が軽くなければ務まりませんでね」
「成る程。だから功者が重用されると。あなたもご苦労な事ですね。磯の新しい影が独りで西奔東走しているという噂は本当だった訳だ」