第15章 ならそのままで
「私は先生の恩に報いたいのです。先生が亡くなり、もう叶わないと思っていた事が今度は一平様の為に叶います。何が起こるかわからないのが世の常ですよ。人生万事塞翁が馬。貴方と私が会ったのも似たようなものじゃないですか。禍転じて福と為す、諍い果てての契り、怪我の功名、雨降って地固まる」
「馬鹿につける薬は無い」
「雀百まで踊り忘れず」
引っ叩いてやりたいのを堪えて鬼鮫は牡蠣殻の髪を掴んで顔を上向かせた。
「私もこれで忙しいのです。…これからますます忙しくなるでしょう」
「繁忙期に入るのですか」
「…あなたと話していると自分まで頻々と間抜けて見える。これも腹が立つ理由のひとつでしょうね」
「干柿さんが間抜け?まさかまさか。有り得ませんね、そんな事。ええ、有り得ませんとも。……まぁでも、どうしてもそう思えると言うのでしたら、その場合私が原因とは限らないんじゃないかと思いますよ。所謂獅子身中の虫というヤツですね。鯖にアニサキス、人間に盲腸、干柿鬼鮫に間抜け…」
「………」
「お?黙られましたね。お珍しい。言い返すと間抜けが露呈するとご懸念なさいましたか?大丈夫ですよ。黙っていても持ち合わせた気質は滲み出るものです。今更少々無口になったところであなたという人間の内容に何の変わりもありません。そんな貴方が私は大好きですよ」
「…常々疑問に思ってたんですがね。あなた、どういう私を見てるんです?あなたがあからさまな好意を口にするのは大概私を腐している時だ。正直、訳がわからない」
「訳がわからない?何で?私は別に只貴方が好きなだけですよ。格好いいとか、賢いとか、優しいとか、元からそういった素敵な理由なんかないんです。悪しからず」
「気にしないで下さい。私にしてもそれはご同様ですよ。気配りがあるとか、聡明だとか、清楚だとか、そうした付録があなたに一切無いのは初対面からわかり切ってましたからねえ」
「それは気楽でいいですね」
「少しは気にしなさい」
「気にしてない訳じゃないんですよ。でも一朝一夕に身に付くものじゃないでしょう、そういう素養は。長い目で見て下さい」
「延々と付き合わせる気ですか。図々しい」
「や、厭ならいいんですよ。残念ですが仕方ない。芋虫が蝶に変態した段になって悔しがらないで下さいよ」
「毛虫は変態しても蛾にしかなりません」