第15章 ならそのままで
「大事な物を二度までも人手に渡して、全くどうしようもない」
それだけ言って、鬼鮫は牡蠣殻をまた抱き締めた。
「そうですね。大事な物です」
牡蠣殻の手が背中に回る。草で見せた縋る様な切羽詰った様子はない。気を許した仕草に鬼鮫は一時瞠目した。
「でも、貴方が居れば、なくてもいいものなのかも知れない」
牡蠣殻が胸の中で辿々しく洩らした。
「だから私にはまだあれが必要です」
「まだ何処か行くつもりですか」
「一平様のところへ」
「何を言ってるんです。草へ戻る?馬鹿な」
「今回の出奔は止むを得ない事情があったからです。その用は済んだら体が回復し次第草へは戻る気でいました」
牡蠣殻は考え込みながら、独り言するようにぽつぽつと言った。
「出来れば一平様を草から連れ出したい」
深水の息子か。
鬼鮫は顔を顰めた。何処までも深水が祟る。腹立たしい。
「彼は草の庇護にあるのでしょう?しかも母親はあの浮輪杏可也だ。更に義父は荒浜。あなたが彼の心配をする必要はない」
むしろ自分の心配をすべきだろう。ビンゴブックに載ったのに、牡蠣殻からは危機感がまるで感じられない。
「長老連が一平様を担ぎ上げようとしている」
磯の長老連は散開の際、草へ移っている。散開前から繋がりがあったらしく、ごく当たり前のように彼らは草へ行った。波平と磯に見切りをつけて。
「彼らは磯の為なら何でもしますから」
「磯を捨てた連中が?」
「酷な様ですが、長老連が捨てたのは磯ではなく波平様です。だから杏可也様と草へ行った。他の誰でもない杏可也様と、他の何処でもない草へ」
常の牡蠣殻ではなく、磯の補佐牡蠣殻磯辺が話している。鬼鮫は眉を顰めた。
「杏可也さんは浮輪の長子、その杏可也さんと優れた薬師だった先生の子ならば磯の跡を摂るのに不自然はない。一平様が功者かどうかはまだ判じかねますが、何時も功者が在る訳でもない事を考えれば磯影が巧者でなければならないというのは建前、増して長老連にとって問題ではないでしょう。磯を他里からの干渉を退けられるような強く大きな里にして以前のように定住するのが彼らの望みですから、むしろ一平様は不失であった方が都合がいいくらいのもの。巧者の磯影が居なければ里移りは困難ですからね」