第12章 薬師カブト
「今ここにはありませんよ。あなたが是と言ってくれれば明日の朝にも持って来ます」
「話にならねえな」
あやふやな答えにサソリの興味は急速に失せた。探るような好奇心を覗かせていた目が胡乱な半眼になる。
話になるかならないかは、これからなんだよ。
カブトは内心の焦りを押し隠して、眼鏡を押し上げた。
海士仁も今まさに浮輪波平と話をしている。それがどう転がるか、まだわからない。カブトは物証なしのあやふやな状態でサソリを説得しなければならなかった。無理があるのは百も承知でカブトを頼った海士仁は、理由あって急いでいるのだ。
彼は手配書に載るビンゴブッカーの身の上で、庇護してくれていた草から逃げ出した。
連れ出してはいけない赤ん坊を連れて。
面倒事を持ち込みやがって。
海士仁の細長い顔を思い浮かべてカブトは奥歯を噛み締める。その面倒事に足を突っ込んだ自分にも腹が立つ。けれど、以前砂の宿に同宿したとき、てらいも同情も相憐れむ感もなく、カブトを自分に似ていると言った海士仁をカブトは撥ね付ける気になれなかった。赤ん坊を抱いて現れた海士仁は、相変わらずカブトと似た者同士ではあったかも知れないが、カブトにはないものを抱えてカブトとは違う道へ足を踏み出そうとしていた。
そういう海士仁がどういう顛末を遂げるのか、見届けてみたいと思ったのだ。
「先渡しがあれば少しは信用して貰えますかね」
カブトの提案にサソリは表情を変えない。
焦るな。
脇の下を汗が流れる。今サソリを怒らせるのは得策ではない。
「牡蠣殻に並の薬が効かない事はもう知っていますね?」
サソリがフッと失笑する。
「俺を誰だと思ってやがる。行き倒れを保護する慈善家か?愚にもつかねえ前置きは沢山なんだよ、薬師」
腕組みして低く言い置いたサソリは、加虐の目色を浮かべてカブトを見据えた。
「オメェや磯の有象無象に渡すくれぇなら、まだ鮫にくれてやった方が面白味がありそうだな。鬼鮫を呼ぶか」
肩口がチリッと痺れた。以前干柿鬼鮫に裂かれた傷が。
干柿は波平と同じく、深水の書き付けを持っている。それをサソリが知ればややこしくなる。理由は知らないがあの鮫が牡蠣殻に執着しているのは明らかだ。牡蠣殻もまた、干柿に執着がある。サソリの元に牡蠣殻がいるとわかれば、干柿は黙ってはいないだろう。