第1章 魔界
「はあ、ども」
と、片手を上げる。
私の頭の中はかなりパニック………いや、すでにパニックを通り越してフリーズ状態にある。
「なんだ、礼儀も知らないのか。可愛げのない女だ」
あっそ、そりゃどうも、とこれまた可愛らしくもない返事をする。彼はやれやれ、と大袈裟に肩を竦めて見せた。
「ん………?あれ………?あ、あんた………」
私の記憶が正しければ、彼は確かに言ったはずだ。『よく来たな、さやか』と。
「なんで私の名前……っ!」
目の前でこんなにも私が焦っているというのに、彼は、当たり前だ、とでも言うように鼻で笑った。
「俺を誰だと思っている。この魔界の王だ。魔界にある全ては俺と繋がっている。分からないことなど、あるはずがない」
わぁお。
とうとう頭をイっちゃったかな?私は目の前にいる怪しさ100%の彼をじっとりと見る。
「なによ、これ。もしかしてテーマパークとか?記念すべき1億人目のお客様は日本国民の中からランダムに選ぼう、みたいな?それで私が選ばれちゃった、みたいな?すごーい」
と、手をぱちぱちと叩く。
何かのテレビで、手を叩く位置が胸より下ならば心から感動していないということだ、という情報を得たことがある。だから私は、胸の上で拍手をするように細心の注意をはらった。
「てー…ま、ぱあく……?なんだ、それは」
あ、ああ!そうか!
『魔界の王なのだから、魔界で知らないことは何一つない』つまりは、彼視点でいう人間界でのことは何も知らないという…………【設定】なのだろう。
「わー、すごーい。リアルですねー。私、いつの間にテーマパークなんかに入ったのやら………。よく見れば、その角……みたいなの、立派ですね。もうほんと、よく出来てる………」
象牙のような大きな角に触れようとすると、手をはたかれた。そりゃ、触っちゃダメだよね。着ぐるみの背中にあるファスナーに触れるのと同じくらい、デリカシーのないことなのだから。
「触るな、このたわけが」
なかなかの言われようだ。
私が反論するより早く、彼が言葉を続けた。
「お前の言ってることが何一つ分からん。なんだ………そのてーまぱあく、とやら俺は知らないな。なに阿呆なことを言ってんだ。目を覚ませ」
ご冗談を、と笑い飛ばしたかったのだけれど、あまりにも真剣な顔でそういうものだから、私はごくりと唾を飲み込んだ。