第12章 A…

｢きれいだね…」

俺の隣で、同じように桜を見上げていた翔さんがポツリ呟く。

当たり前のことなんだけど、翔さんにまだ美しい物を素直に美しいと思える感情が残されていることに、喜びを感じてしまう。

｢うん、綺麗だね」

そう言ったっきり、俺達は大して会話を交わすことなく、時折吹きつける風に揺れる桜の木を、ただじっと見上げていた。



｢そろそろ帰ろうか？」

頬に触れる風に冷たさを感じて、俺は翔さんの少しだけ細くなった肩を抱き寄せた。

｢また来れる？」

俺を見上げる目が、心なしか潤んで見えるのは、俺の気のせい、なんだろうか…

きっとまた来れるさ…

心細そうな顔を向ける翔さんに、本当はそう言ってあげたかった。

でも言えなかった。

この先の約束なんて、出来ないから…

言葉で答える代わりに、俺は翔さんの額にかかった前髪を掻き上げると、そこにキスを一つ落とした。

｢帰ろ？」

｢うん」

小さく頷いたその目に、もう涙は浮かんでなくて…

俺がそっと手を握ると、それに応えるように、翔さんも俺の手を握り返してきた。

｢寒くない？」

さっき来た道を戻りながら聞くと、翔さんが小首を傾げて俺を見る。

きっと”寒い”って感覚自体、今の翔さんには無いのかもしれない…

俺は少しだけ冷たくなった翔さんの手を握ったまま、自分のジャンパーのポケットの中に入れた。