第67章 昂進
「おはよう。」
肩をポンッと叩かれ、振り返る。
「神谷さん。おはようございます。」
今まで、そこまで会話もしたことも無い神谷さんから声を掛けられた事に驚き咄嗟に対応しきれない。
「こっちの環境は慣れた?」
「え……と…。」
まさかの質問に上手く言葉が出ない。
「ナレーション。ここにいるってことは、今日は収録でしょ?」
大して返答も出来ない私に首をかしげながら、頬笑んでくれる。
「あ…はい。」
こんな事しか言えない自分が恥ずかしくて仕方ない。
「あのさ?日菜乃ちゃんって、口下手なの?」
「えっと…」
顔をのぞき込まれると逸らしてしまう。
「もっとお喋りな子なのかと思ってた。」
幻滅されるのは苦では無いけど、信彦さんに関わりのある人だと…と思うと額に汗が滲むのを感じた。
何か言わないと!と顔を上げると神谷さんは廊下の先を眺める。
「まぁ、別に取り繕う必要は無いよ。」
「無理したって長く続かないし。」
「無理は禁物。」
ポンポンっと軽く肩を叩く。
「日菜乃ちゃんが、これから録る番組。」
「俺も出るんだよ。」
「昨日録り終えたんだ。今日は別件で。終わったからから帰るけどね。」
「ナレーションで共演しても会う機会は、そうそう無いと思うけど。」
「またどこかで会えるかもしれないし。」
「その時は、よろしくね。」
「…………じゃあ、また。」
軽く手を上げ、柔らかい笑顔を向けてくれる。
神谷さんは、私が信彦さんとどう言う関係なのか知っているのかもしれない。
今までそれ程接する機会が無くても、こうして声を掛けてくれる。
『水澤日菜乃』では無く『岡本信彦の…』と言う違う名称が付いているのかもしれない。
信彦さんが築いた信頼や親しみ。
それにあやかっているに過ぎない。
私もいつか、そんな風に思ってもらえるといいな。
神谷さんとは別の方向へ歩みを進める。
まずは、この道をしっかりと踏み締めて進まないと。