第36章 離別
風呂上がりにリビングに戻ると森本さんがハーブティーを入れてくれた。
「どうしたんです?珍しい。」
「日菜乃。話があるんだ。」
「何ですか?」
ティーカップを近づけ香りを楽しむ。
「んー。いい香り。」
「事務所辞める事にした。」
「だから、もうお前の傍には居られない。」
は?嘘でしょ?
驚きに声が出ない。
騙されたなって笑って見せてよ。
「まぁ、お前は俺がいなくても十分やっていけるし。」
何言ってるの?
「俺みたいな煩いヤツがいなくなって清々するだろ?」
「……お前さ。何か言えよ。」
そう言われ、絞り出すように声を発する。
「…いつ?」
「今月いっぱい。」
あと数日しかないじゃない。
「挨拶も済ませた。」
「あとは、その日を待つだけ。」
そう言って、ハーブティーに口を付ける。
目はきっと泳いでる。
顔を上げるのすら怖い。
何か…何か話さなくちゃ。
「これからどうするの?」
声は震える。
「知人が事務所を立ち上げるんだ。」
「俺もそこに行く事になった。」
「私も…」
連れてってよ。
「バカ言うなよ。日菜乃は、まだ事務所でやる事あるだろ?」
分かってる…分かってるよ。
「拾って貰った御礼を返すって言ってたの忘れたのか?」
諭すように私を見つめる瞳。
「まぁ…軌道に乗って、お前がどうしても来たいって言うならその時は考えてやるけどな?」
「それまで、付加価値を付けとけよ?」
ニヤッと笑う顔は、相変わらず憎たらしい。
それでも私をここまで育ててくれた人。
仕事のいろはから、その他も手取り足取り…
スパルタだったけど、お陰で色んな意味で強くなれた気がする。
貴方が近くにいたから、心の何処かで拠り所にしていたのかもしれない。
「そうだ。」
「これだけは覚えておけよ。」
「お前は、一人じゃない。」
「自信持って行けよ。」
「お前なら、絶対にもっと上を目指せるから。」
いつも厳しいくせに、こんな時だけ優しくしないで。
「じゃあ、俺は帰るよ。」
「この鍵ももう返す。」
テーブルに置かれた鍵。
「じゃあ、とりあえず辞めるまでは変わらず宜しく頼むよ。」
そう言って、森本さんは出て行った。
また一人になっちゃった…
私…一人で歩く方法なんて知らない。