第2章 それぞれの思い
明智光秀はいささか退屈していた。
あちこちに潜ませている斥候(せっこう)達から密かに届いた書状に対する返事を光秀はしたためようとしていた。
だが、時々ふと筆を動かす手を止めてしまう。宙に浮いた筆から黒い滴が滴り、ぽとりと落ちていく。黒く大きな染みを作り出すそれに気づくと光秀はふっ、と自嘲的に笑いもう使えないその紙を文机の脚の近くにそっと置いた。同じように書き損じた紙が小さな山となって机の脚元を覆い隠している。
(この俺がつまらん失態を繰り返していることを知ったらあの娘はさぞ驚くだろうな。)
そう思いながら光秀はククッと喉の奥で笑う。そして手にしていた筆の先を整えると硯の上にゆっくりと置いた。
数ヶ月前に表れた奇妙な娘の様々な顔を思い出す光秀の口元は微かに緩んでいた。周囲の者から底意地の悪そうに見られる目元には優しい光がほんのりと宿っている。
その姿を見かけ、声をかければ驚いたように光秀を見上げるあどけない顔。その言動をからかえば言い過ぎです、とか意地悪です、などといって小さくうつむく顔。意地悪されるの好きだろう、と問えばそんなことありません、と頬を染めながらふくれ面をし、少し大きな声で答える顔。たまに、本当にたまにだが探し物などを手伝ってやればありがとうございます!と心から嬉しそうに笑う顔。
コロコロと変わるその娘の顔が、気がつけばいつも脳裏にちらついている。
「退屈だ。次に会ったときどんな顔で俺を見るのか見物だな。」