第2章 それぞれの思い
徳川家康は不機嫌だった。
ここ何日か夜通しで仕事をしていて満足に眠れなかった。近いうちに朝鮮から船で届くはずだった薬草が出立当日に波が荒れたことが原因でまだ届かないことを知ったのもつい先日のことだ。
だが、それだけが彼の機嫌を悪くさせたのではなかった。
(あの女、最近城で見かけないし部屋にも訪ねてこない。……まあ、来れば勝手にワサビに餌をやったり、仕事しているオレに色々下らないことを話しかけてくるだけだ。むしろありがたいんだけど。)
ありがたいはずなのに。心のどこかでがっかりしている自分に気づき、家康は小さく驚いた。
見るからに危機感がなくて、へらへらと笑っている女。初めて優希を見たときに家康が思った優希の第一印象だった。そんな性質の人物は三成ほどではないが男女関係なく嫌いだった。そのうえ自分を見かければ子供のように側に寄り、色々と話しかけたりしてくる優希を鬱陶しいとさえ思っていた。
それをいつの間にか。
この女なら別にいいかと思い、心地よく思えるようになった。自分の視線に気づくと少し恥ずかしそうにしながらも笑いかける優希を悪くはない、と思えるようになったのはいつからだろう。
美味しそうに葉をむしり、食べていくワサビの頭を撫でながら家康はそんなことを考えていた。気持ち良さそうに彼の手のひらの感触を楽しむ小鹿を家康は優しい眼で見つめながらしばらく撫で、そっと手を離す。部屋に戻り 、夜明けごろに作り終えたばかりの軟膏の壺を手持ち無沙汰にいじる。
(擦り傷でも作ってここに来ればいいのに。女の傷なんて見苦しいし仕方ないから毎日塗ってあげてもいい。)