第10章 丘を越えて行こうよ
「頑張るねえ…。まぁ元々地元なんだから、顔見知りも多いし、そこまで大袈裟なもんじゃ…」
「離れて過ごしたタイムラグを埋めるのは思いの外難しいものだ。友達でも恋人でも、手を引いてくれる者があれば安心なんだが。いないのか、そういう相手は」
「そりゃ友達はいるよ。地元だもん。連絡も取り合ってたし、全然会わないでもなかったし」
「武洋くんのことを相談出来たか?」
「は?」
「武洋くんのことを相談出来た友達はいたか?」
何を言い出すかと思えば。
そんな個人的なこと、わざわざ地元の友達に話したりしない。する訳ない。これで詩音は意外に聞き役なのだ。自分の話は元々しない方なのだ。
妙な顔で黙り込んだ詩音に、父はふんと頷いてずっしり重い広辞苑を持ち直した。
「そういう話が出来る相手を見つけなさいと言っているんだよ」
「はぁ…」
「で?誰に求婚されたんだ?」
「またソレか!ノーコメント!黙秘権絶賛発動中です。広辞苑持ってさっさと引き篭もって下さい!もーいいから!もーホントいいから!」
「ああ、加奈子ちゃんから電話があったぞ」
「え。いつ?」
「さっき」
またか。何故詩音が寝ているときに限ってかけて来るのだ、あの人は。
「そもそも広辞苑を探しに来たものだから、電話のことをすっかり忘れてしまった」
「は!?待たせっぱなし!?わあ、どこが親心だ!そういう相手を見つけるどころか社会不適応道コースに乗り掛かってるぞ!?私を地元から抹殺するつもりか!!」
「そんなことで潰れない強いコに育てたつもりだよ、私は」
「お父さんのつもりなんかこの際全く関係な……」
「電話なら切れてたから受話器戻して置いたわよ」
花を生けた花瓶を抱えた母がドアの隙間から顔を出した。
「かけ直したら?」
「もー何であの人私に電話して来んの!?私は飽くまで平委員ですよ?お祭りの話なら一也か町内会長にしたらいいだろ!」
カーと威嚇する詩音に母が呆れた。
「何でお祭りの話って決めつけるの?他の相談事かも知れないじゃない」
「それも一也にしたらいんだよ!それで間に合ってんだから!」
「あら、あのふたり、付き合ってるの?」
「初耳だな」
揃って興味津々、目を輝かせた両親から身を引いて、詩音は再びカーと威嚇した。
「出歯亀は止めなさいっての!加奈子さんち行ってくる!」