第4章 ドレミファだいじょーぶ
「端的に言うと私はね……君が欲しい」
弓なりの唇と、冷たい目。
「…"どりふ"など、そんな大層な者では御座いません。私はただ、人違いで呼ばれた身であって……何の取り柄もない人間です」
本当の事なのに、まるで言い訳を並べるような居心地の悪さを感じる。
「人違い、か…それは興味深い話だ。しかしそれを差し引いたとしても、我々の知り得ない漂流者の知識、技術、思想は、喉から手が出る程欲しい代物なんだよ」
ぞわり。悪寒が背筋を走る。
何故こんなにも必要とされているのか。
漂流者とは、この世界とは…一体何なのか。
私は何故呼ばれ、何を成すべきなのか。
屋敷でのんびり暮らしていた頃には考える事のなかった、膨大な疑問が頭を埋め尽くしていく。
広大な海原へ、突如身一つで放り出された様な、途方も無い不安を感じ、震えが止まらない。
「わ、私…用事を思い出したので」
「そんなこと言わないで。ほら、せっかくの料理が冷めてしまうよ」
いつの間にか席を立って私の後ろに回っていたしゃいろっく殿。椅子ごと私を捕らえると顎を持ち上げ、親指が閉じられていた唇を押し開く。
「んっ…」
ほら、お食べ。
銀の匙で掬った料理が口元に運ばれ、中途半端に開かれた唇に流し込まれる。
混乱で味などわかる筈もないが、ぴりりと鼻先で香辛料の香りが弾けて、途端に口内が熱を持つ。
口の端から垂れた汁を、シャイロック殿は指で拭うと、舌を出してそれを舐め取る。
その見せつける様な扇情的な姿に、耐えられず私はぎゅうと目蓋を瞑る。
「私の物になってしまえよ、…」
耳に息が掛かる近さで囁く声は私の理性を揺らし、蟻地獄の様にずぶずぶと深みに陥れていく。
逃げる術は無い。できるのはただ祈る事だけ。