第1章 1
ワンレンのツーブロックヘア、幾つもあるピアスと指輪にアクセサリー、少し変わった服装、そういうファッションに身を包んだ彼は、なんだかとてつもなく完成されていて、付け入るスキがなかった。
まあ、そうだろう。
彼は有名人だ。
あの独特のメイクはしていない、年齢よりもベビーフェイスな素顔の彼は、こちらに気付いて少し気まずそうに小さく会釈をした。
マンションの深夜のエレベーターに誰も居ないと思ったら人が乗っていた、そんな時は誰だってそんな顔をするだろう。
私もどきどき音が鳴りそうな心臓を抑えて、いかにも素知らぬ顔をして、軽く会釈を返した。
彼はどこか安堵したように、もう一度こちらに頭を下げて、それからまた前を向いた。
彼の首筋が見える。
綺麗に刈り上げられ、揃えられた髪型はついさっき美容室で整えられたかのように美しかった。
撮影や色々で、いつもきれいにしているのかもしれない。
私はどうだろう、大丈夫かな。
鏡張りになっている後ろを振り返って確認したかったけれど、男性の前でいそいそと化粧直しするなんてみっともなくて、私はまた、平気なふりで立っていた。
会話することもなく、エレベーターは下ってゆく。
何かきっかけがあれば話せるのに。
そう思うのも束の間、すぐにエントランスへ着いてしまった。
リーンというオルゴールのような音で扉が開く。
彼は、エレベーターの扉を手で軽く押さえて、私が先に出られるように促してくれた。
「あ、ありがとうございます…」
「いえ」
本当に短い会話を交わし、私たちはその場で別れた。
そのまま駐車場へ繋がる階段を降りて私は待たせていたタクシーに乗り込んだ。
彼はこれからどこへ行くのかな、もしも同じ方向なら相乗りもできたのかな。
なんて、思いながらも、タクシーのドアは閉まり、伝えていた目的地へと発進してしまう。
目線だけで振り返ってエントランスの方を見ると、彼はもう、居なかった。