第1章 第一話
白い壁は、いつもどおりの無機質さで私の前に現れる。
冷蔵庫みたいだ、この外観も、室内も。冷蔵庫と呼ぶにふさわしい家だ。ああ、入りたくない。ふてぶてしい私とは対照的に、タスマニアデビルはさっさと玄関へ向かっている。生徒の気持より給料がそんなに大事か、くそめ。醜い悪態を胸中に留め、私も渋々家へ入る。
どうせ、帰る場所はここしかないのだ…今のうちは。
無駄に長い廊下を歩いていた家庭教師を追い抜き、この家の中で一番広いリビングへ足を入れる。最新鋭の暖房機器によって暖められた空間は、嫌味なほどに柔らかい空気が漂っていた。室内を明るく照らす照明も、新品同然の家具も、清潔な絨毯も、…そこで微笑む人形同然の母にも、何もかもに虫唾が走る。
「おかえりなさい、寒かったでしょう」
「…ただいま、母さん。平気だよ」
まるで舞台だ。優しい両親と、親思いの子。厳格な父と優しい母に育てられた子供は、素直で誠実な子どもへ育ち、やがて自立する。だなんて、流行らない三流映画より退屈な物語だ。
私の後ろから、追い抜かれた家庭教師がいつもよりワントーン高い猫なで声で母に話しかけた。
「こんばんは奥様…今日は冷えますな」
こうして母の機嫌を取るのも、給料を上げるための世辞にすぎない。母はそれを知ってか知らずか、いつものからくりじみた笑顔でそれに対応する。
「あら先生、お元気そうでなによりです」
先月も聞いた台詞だった。母も家庭教師も、互いにこれといった話題はないはずなのに、すらすらと世間話が口をついて出てくる。大人というのは、こういうものだろう。
そして私も、来年からはこうならなければならないのだ。
来年…そう、来年になれば、私はこの家や監視から逃れられる。そのはずだ、絶対とは言えないだろうが、高確率でそうなる予定だ。
私は二人の雑談に付き合うつもりはなく、父が帰ってくる前に自室へ引き上げた。家庭教師と父の話など、私への小言か、もしかしたら日頃の成績優秀具合を褒めてくれるかもしれないが、どれもこれも聞きたいものではない。
他人から下された評価など、気にしたところで変わりはしない。
良い方は悪い方に傾きやすく、悪い方はより悪い方へ傾く。そんな不安定なものをいちいち気にしていては何もできはしないのだから、気にしない方が良いに決まっている。