第5章 黄昏エスケープ〔千歳千里〕
「どれ乗りたかと?」
「うーん…あ、あれがいいな! あの黄色いの」
行き先を確認せずにぎりぎり座れそうな電車を見つけて、発車のベルが鳴っているところを滑り込む。
プシューと派手な音を立てながら真後ろでドアが閉まって、思わず顔を見合わせて笑った。
少し走ったから、人ごみの中を歩いていたときよりも手がきつく握られていて。
どきどきしながら目線をちらりと遣ると、千歳は小さく「あ」と言って、ぱっと手を離した。
「痛かったろ? …すまん」
そう言って、ばつの悪そうな顔をする千歳。
私から離れていった大きな手は、その感触を確かめるように二、三度、拳を形作った。
痛くなんかない、ただ繋がれた手が、少し恥ずかしかっただけ。
でもその一言はなぜか言葉にはできなくて、私は小さく首を振って、二人で座れるシートを探した。
見つけた席は、ほんの数メートル先。
「あそこ、座ろ」と、今度は私から千歳の手を取って。
ガタガタと音を立てながらゆっくり発車した電車の中を、踏み出した。
背の高い千歳にしてみれば、たった数歩の距離なのだろうけれど。
恥ずかしくて、千歳の顔は見られないけれど。
自分から手を繋ぐのが、こんなに大変なことだったなんて。
さっきの千歳も、こんなにどきどきしてくれたのだろうか。
横並びに二つ空いていた席に腰掛けた。
どのタイミングで千歳の手を離せばいいのかわからなかったから、とりあえずそのままにしておいたら、千歳はさも定位置だと言わんばかりの自然さで、自分の太腿にぽんと繋いだままの手を載せた。
電車が揺れるたび、ショートパンツでむき出しになった私の膝が、千歳の脚に触れる。
洗いざらしのジーンズのごわごわした感触は、初めて触れたはずなのになぜか懐かしい気がした。
「この電車、乗ったことある?」
「あると思うばってん、いっちょん覚えとらんとよ」
「そっか。どこ行きなんだろね」
「わからんのも楽しかろ?」
こんなに嬉しそうに笑う千歳を見たのは初めてで。
見とれてしまいそうになりながら、うん、と頷いた。
車窓から見知らぬ駅舎が流れていくのが見えて、この電車は急行か快速なのだろうと頭の片隅で考えた。