第3章 スイッチガール〔渡邊オサム〕
オサムちゃんに会うために、期末テストでわざと赤点を取って補習を受けることも考えなかったわけじゃない。
でもバカだと思われるのは嫌だったから、猛勉強したら白石くんと同じ九十六点だった。
どうせなら百点を取れれば、テストを返されるときに「よう頑張ったな」の一言くらい、褒めてもらえたかもしれないのに。
白石くんにそうぼやいたら「恋する女の子ってすごいなぁ、俺そない頑張れへんわ」なんて笑われたのだけれど、同点だったのにその言い草は単なる嫌味だと思った。
でも、四十日間がこんなに長いなんて。
私とオサムちゃんとの接点は、学校にしかないから。
叶わぬ恋だと、わかってはいるけれど。
やっぱり赤点を取っておくんだったと思ったら、深い深いため息が出た。
いつの間にかスマホの画面が暗くなっていて、自分の顔が映った。
こんなにぶすくれた表情をしていたのかと驚く。
せっかく化粧して出てきたのに、これじゃ台無しだ。
ついさっき吐き出したため息を取り返すように、大きく息を吸った。
汗をかいたグラスの中身を飲み干した。
そろそろ帰ろう。
秋物なんて、今買ったってずいぶん先まで着られないのだから。
地下街へ続く階段を降りていたら、見慣れたチューリップハットが階段を登ってくることに気がついた。
「…え」
オサムちゃん?
いや、まさか、そんなはずない。
会いたいと強く願いすぎて幻覚が見えるなんて、もはやかなり危険な領域、末期症状だ。
でも、足音がひとつひとつ刻まれていくたび、帽子は少しずつ近づいてきて。
どくんどくんと心音が頭に反芻して、立ち止まってしまいそうになるのをこらえて、私もゆっくりと歩を進める。
縦に折った競馬新聞を持ったその人と、すれ違いざまに一瞬、視線がぶつかった。
ああ、あんなにも会いたくて焦がれていたくせに。
いざ出会ってみたら言葉がひとつも出てこない。
こんな都合のいい偶然、もうきっと二度とないのに。
煙草の香りが鼻をかすめて、胸を掻きむしりたくなるような感覚に襲われる。
ねえ、待って。
少しでいいから会いたかったの。
一言でいいから声が聞きたかったの。
夏休みが永遠に思えるくらい、オサムちゃんのことばかり考えていたの。
待って、お願い。
振り返ったら、私より二段上でオサムちゃんもこちらを見ていた。
逆光が眩しくて、思わず目を細める。