第10章 恋の季節(3)
2年は元より1年も巻き込み、果ては3年の先輩たちをも引っ張り込んだ「白鳥沢バレー部キス事件」は、常であれば緊張感漂う大会前の部内の雰囲気を緩和させるのに一役買ったらしい。
練習時には怒号のごとき叫びを上げ眉間に皺を寄せていた先輩たちも、コートから離れて俺のその話をする時には人が変わったように相好を崩していた。
その先輩たちが決まって口にしたのは「監督には絶対にバレないようにしろ」という言葉だった。
「そういうことにまで口出しそうにねーけどな、鷲匠監督は」
と瀬見などは言っていたが、それに対して天童は、
「時と場合によりけりデショ。プレイに影響が出るようなら遠慮なく『別れろ』くらいのこと、鍛治くんなら言うね」
と断じて、場に居合わせた全員を納得させた。
このやりとりを聞いた天海は、いつものように話を掘り下げようとした。
『白鳥沢の監督さんって、そんなに怖いの?」
「怖い、というのは少し違う。厳しい指導者だと俺は思うが、天童などは…」
――言いかけて、ふと、思い出した。
「天海」
『なに?』
「天童が、お前のことを下の名前で呼んでいた。俺は抗議しておいた」
僅かな沈黙の後で『そ、そう…』と色のはっきりしない答えが返ってくる。
俺は、続ける。
「天海」
『は、はいっ』
「お前のことを“ありさ”と呼んでも差し支えないか」
今度の沈黙は先ほどよりも少し長い。
俺は携帯を耳から離し、通話が切れてないことを確認し、ついでに目にした通話時間がさほどないことに多少なりとも焦燥感を覚えつつ口を開く。
「…聞こえているか、天海」
『…ちゃんと、聞こえて、います』
「ありさ、と呼んでもいいだろうか」
『…構いません…』
「天海、少し声が聞き取りづらいのだが…」
『…ごめんなさい、気が動転して。牛島くんの好きに呼んでいいから』
「そうか」
1人、部屋で頷いてから俺は付け足す。
「それと、天海」
『はい』
「お前も俺のことを“牛島くん”ではなく、下の名前で呼んでくれ。俺だけでは釣り合わん」
『つ、釣り合うとか合わないとか、そういうの、関係ないと思います…!』
「そうか…」
『そうです!』
「だが、天海。俺は、お前の声がそう呼ぶのを聞いてみたい」
3度目の沈黙は、相当長かった。