第31章 二月の恋のうた(2)
「ちょっとだけ、話そ?」
「しつこいです!」
「寂しそうな顔してトイレから出てきたじゃん。…ホントはさ、部屋にいる男じゃなくてさ、別のヤツに相手して欲しいとか思ってたりしてんでしょ?」
聞こえてくる会話が途切れた。
部屋から漏れる賑やかな楽曲の合間を縫って俺は通路という名の迷路を駆け、やがて見えてきた曲がり角を曲がった。
直後、飛び込んできたのは華奢な背中。
本当に目の前に在った。
それが誰の背中なのかを一瞬で判断などできるはずがなく、事実、見慣れた髪は記憶の中のそれよりも悠に10センチは短かったのだが、それでも俺は瞬時に悟った。
悟ったがゆえに、躊躇などしようはずもなかった。
俺は手を伸ばし、その細い肩を引き寄せた。
「きゃっ!」
まったく控えめではない反射的な悲鳴が上がる。
突然後ろから引っ張られた人間としては至極当然の反応。
そう理解している頭の片隅で、悲鳴に対して「あぁ、この声だ」と笑みを浮かべた俺は背中から倒れこんで来た天海を己の胸で受け止め、空いた右手を前に回して彼女の身体を強く、強く、抱いた。
同時にこぼれ落ちた言葉。
「――天海は、やらん」
出会って、別れて、探しに来て、今またこうして出会った。
手離さない。
この腕の中から、出しはしない。
成り行きに呆然と口を開けている男を、俺は正面から睨みつけた。
「天海は俺のものだ。指1本、触れさせん」
「…若利、くん?」
戸惑う気配は下からも。
視線を降下させれば、大きな目をこれ以上ないというほどに見開いた天海が俺を仰ぎ見ていた。
長い睫毛が僅かに揺れ、円い瞳に疑問が浮かび上がっている。
「…どうして…?」
その質問は、なぜここにいるのかという意味合いは元より、なぜ私の前にいるのかということを問うているようにも思えた。
だから、俺は目を逸らさずに答えた。
「お前を取り戻しに来た」
「なに言って…」
動揺している彼女の唇を俺は奪う。
行動で、結果で、示す方がいいと判断して。
驚きのあまりビクリと動いた彼女の腕を掴んだまま、身体を抱いていた手は離して頤に添えると、抵抗の一切を封じ、唇を吸った。
柔い感触に、飢えていた欲望が目を覚ます。
――もっと。
叫びに近い欲求を自制し、俺は短い口付けを終えると眼前の男を視線で威嚇した。