第22章 冬の稲妻(3)
身を起こした天海は、こめかみから下、右の頬全体を押さえていた。
左右両方の口端は切れ、付き添う“先輩”が滲んだ血を拭いている。
「若利くん…」
しゃべりづらそうな音の連なりが俺の名前だとわかった途端、こちらも口を開いていた。
「お前がこれほど愚かだとは思わなかった」
「…ちょっと、牛島クン」
殺気だった“先輩”の声が視線と同時にこちらに飛んでくる。
彼女は今にも噛み付いてきそうなネコ科の獣のようだったが、天海はそんな“先輩”の腕を掴み、緩く頭を振ると俺を見つめて「ごめんなさい」と言った。
「…誰にも迷惑を掛けたくなかったの」
「その結果が、これ、か」
「本当にごめんなさい」
軽く頭を下げてから、天海が弱々しい笑みを浮かべる。
「自分を過大評価しすぎたんだね」
自嘲しようとしたがそれに失敗した――そんな様子の消え入りそうな笑みに、俺は眉間に皺を寄せる。
こんな時まで冷静でいるのか。
そう言いかけたが、止めた。
彼女の目尻に見る見る間に溢れてくるものがあったため。
俺は天海の傍らへ膝をついた。
何も言わずに“先輩”が入れ替わる。
我慢しているのか、睫毛を震わせながら瞬きもせずに開いている大きな目から雫が伝い落ちる。
間に合わずに、利き腕とは逆の右手でそれを拭った。
「ごめんなさい」
声が僅かに震える。
「ごめん、なさい」
反対側の目尻からもこぼれ落ちる雫。
「ごめん――」
俺は天海の頭を引き寄せて自分の胸へ押し付けた。
きつく言おうとしたはずが、口から出てきたのは自分でもわかるほどに落ち着いた声色だった。
「怖かったのならば、ちゃんとそう言え」
背中に回された手が服を掴む。
こくり、と首を縦に振る気配。
それから、殺しきれない嗚咽を漏らし始める彼女。
幾度も抱いた昨日よりも一回り小さく、華奢だと感じる肩。
天海は強い女だ。
だが、そう――「女」なのだ。
肌を合わせ、彼女を貪りながら、俺はその大事な部分をきちんと理解していなかった。
天海は「女」なのだ。
俺が護らなければならない対象なのだ。
それなのに俺は…彼女を護れなかった。
何も知らなかったから?
では、知っていたならば護れたのか…?
俺は、天海を抱いた左手を離し、もう1度見つめた。