第17章 王者の休日(3)
腕の中で、鼻をすする音が聞こえた。
案じていた矢先、天海が俺の背に手を回してきた。
ぎゅっとシャツを掴む、その強さで彼女が過去の自分にシンクロしていないことを察する。
やがて聞こえてきた声もしっかりしていた。
「空っぽになってからは、正直、毎日何をやっていたのかあまり覚えてないの。勉強と生徒会の仕事はきっちりこなしていたみたい。性格だね、きっと。顔を上げられないけど前へは進んでいた感じかな。そんな時にね…あなたを見かけた」
「――俺を、か」
うん、と言って天海が顔を上げた。
目が少し赤い。
だが、それだけだった…痛々しいと感じた気配は微塵もない。
俺は彼女を過小評価していた。
彼女は乗り越えている――やはり“過去”なのだ、この話は。
「…試合を見たの、歓声に釣られて。すぐに、あの人、強い人なんだなってわかった。チームの皆があなたの背中を見ていたから」
俺へと向けられた眼差しが緩んだ。
静かに、柔らかく。
「あなたは、そんなチームメイトの視線を受けても真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、前を向いていた。仲間がミスをしても、俯かず揺らがずに前を向いていた。“本当に”強い人なんだな、って思ったよ。芯のある、軸のブレない、強い人。カッコいい、って思った。スパイクを打つ時のモーションも綺麗で見惚れたなぁ。ずっと同じ綺麗な姿勢。疲れてないはずなんてないのに、試合の終盤でも同じ姿勢。走り込みとかしてるんだろうな、すごいな、カッコいいな、綺麗なだなって思って――私も、こうなりたいな、って思った」
「なりたい?」
「そう。私もあなたのようになりたいと思った。真っ直ぐでいたいと、真っ直ぐでいようと。周りに左右されずに、私自身を持っていようと。私には何もない、無くなっちゃった、でもそれならば今から積み重ねていけばいいんじゃない…そう思ったの。顔を上げて1歩ずつでも、少しずつでも、前へ。そうすれば、あなたのように強く在れるんじゃないか、って」
「天海」
「若利くん、あなたは私にとって憧れで、目標で、恩人。私を変えてくれた人なの。好きです。大好き」
唇を塞いだ。
自然と。
天海の想いに応えるために。
「…先に詫びておく」
俺は天海の唇に囁きを移す。
「今日は、お前を帰すつもりはない」
――今度は俺の番だ。