第8章 軍隊狸ーゴールデンカムイ、月島ー
つい先程己が出自の、決して聞き易くは無い重い話を語った男が、髪を掻き上げながらにやにやと言う。月島が動揺したのが、いや、厭がっているのが楽しいのだろう。
そういう奴なのだ。
それ故に実力や父親の肩書きの高いにも拘らず、今ひとつ人望薄く好かれないのだが本人は一向に気にしない。気にしないところが面憎く、また人が離れて行く。だがこれもまた本人は全く気にしない。それで構わぬらしい。
「赤い軍服と言えば狸だよなあ、浩平」
ヒソヒソ声が鶴見中尉の肩越しに聞こえてきた。
「軍隊狸か。色々噂を聞いたけれど、ついに会えずに仕舞えたな。見てみたかったか、洋平」
潜めた声でも周りが静かな座敷なので丸聞こえだ。
「ふふ、赤い軍服の兵士なんてふざけたものを見かけたら、正体を確かめる前に撃つだろう。違うか、浩平」
何が楽しいのか馬鹿に愉快そうにやり取りを交わす二人の、聞き分けられない同じ声音。
「俺達が撃たんでも露助が撃つだろう。けれど連中は撃たれても斬られても倒れんと聞いたぞ、洋平」
静岡から来た双子の志願兵だ。傍目にも異様なこの二人の睦まじさは、鶴見中尉の癇に障り、また楽しませる。一人一人で見ても変わっているが、双子だけに倍々奇妙な彼らもまた優れた軍人だ。厄介な事に。
「本当にそんなものが居たものかな、浩平」
奇体な物が在るか無いか、自分で確かめなければ納得するものではない。死線を潜った者なら尚更だ。
「居たかも知れないぞ。第一師団にも似たようなのが居たじゃないか。ほら、203高地、それこそ奉天にも出兵した不死身の杉元とかいうのが…」
ああ、居たな。随分頑丈で勇猛な男らしいが…恐らく"アレ"とは全く毛色が違う。
「眉唾だ。本当に死なないなら俺が試しに殺してみよう」
杉元某とやらは人だ。並外れて頑丈とはいえ普通に死ぬだろう。これはその機に居合わせたらば止めねばなるまい。
「会う機会があればな。杉元とやらは終戦で故郷に帰ったと聞く。生半には会えないよ、洋平」
一方ならぬ疵を各所に遺して名目上の戦争は終わったが疵が癒えるまで本当の終戦はない。
だから月島は鶴見中尉の元に残った。中尉の描く疵を癒やす絵に一色加えられるのなら、それも悪くないと思ったのだ。
戦争の始末はこれから始まる。
鶴見中尉が満面の笑みでますます間近く顔を寄せて来た。
