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すうら、すうすう。

第7章 聖夜のシリング硬貨ーシャーロック・ホームズー



「これは実際にあった話でね。ゴーストに限らずたまさか突き当たる不可思議な出来事について考えているうち、ふと思い出して悪戯に語っただけなんだが」

皿に残った蒸焼きインゲン豆のソースを千切ったパンで気のない様子で拭い取りながら、ホームズは窓表に目をやってぼんやりと話を締め括った。
私は口に運びかけた鰊の燻製を無作法にもフォークごと皿に戻し、スコッチを啜って髭を拭った。

テーブルはホームズの提案で窓辺に寄せてあり、常に姉弟の家を見守る事が出来る様になっていた。雪は間断なく降り続いていたが視界を覆い隠す程のものではなく、曇天の深夜にも関わらず雪明かりがぼんやりと姉弟の家の影を浮かび上がらせている。

ホームズは立ち上がり、暖炉の上にあった燭台を窓辺リに置いて蝋燭に火をつけた。ランプとは別に蝋燭の灯りが窓を照らしてテーブルに反射する。

「まあ聞いての通り、大した出来事じゃない。気は好いがいささか間の抜けた男が、質の悪い女に引っ掛かっただけの話だ」

「しかし妙な話だね。一体その女は何者だったんだろう。何の為に男に近付いたのやら」

「その答えは女にしかわからない。そしてその女は二度と現れなかった訳だから、犯罪とは言えずともこの件を迷宮入りと言っても差し支えはないだろうね。今から二十年も前の話だ。残念なのは、牧師が女の髪飾りを川に捨ててしまった事だ。その意味ありげで禍々しい一品を、是非この手にとって仔細に調べてみたかったものだと思うよ」

暖炉から木の爆ぜる音がして、積み上がった火中の薪が崩れた。
それを黙念と眺めながら、ホームズがぽつりと言った。

「男はその後、生涯を教会の下働きをして過ごした。主な仕事は墓守だ」

思い付く事があって私は周りを見回した。
暖炉の左隅に置かれた聖書に目が止まる。私の目の動きを追っていたホームズは、にっこりしてまた立ち上がり、暖炉の上、聖書の傍らに肘を預けて私を見た。

「そう、この小屋はその男の暮らしていた場所だ。話の牧師はピーターソン牧師さ。だが安心したまえ。男は誓って正直な善人で、その生涯も件の女の事を除けば極めて平穏なものだった。無論、ゴーストになった彼を見かけた噂などついぞ聞かないから、そういった意味でもこの話は君の疑問に答えるものではない」
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