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すうら、すうすう。

第7章 聖夜のシリング硬貨ーシャーロック・ホームズー



ひとりの貧しい男があった。貧しいが不平も不満もなく小作をして鶏を育て、倹しく暮らしていた。

ある日の事、男の前にひとりの女が現れた。女は村外れの森の方からやって来て、男に結婚を迫った。
女は美しく、綺羅びやな髪飾りをつけ、気紛れで身が軽かった。

正直ではあるがあまり物事を考え深くない男は女の虜になり、誰に相談する間もなく女と夫婦になった。
結婚しても女は変わらず、ただ身づくろいして髪を櫛けずり、気儘に森へと出掛けて行く。
男は文句ひとつ言わず、今まで通り家の用を済まし、畑を耕し、鶏を育てて女を食わせ続けた。
ふたりになった分暮らし向きは苦しくなったが、美しい女を宝物のように思っていた男は、ただ毎日働いた。
たったひとつ不満があるとすれば、女が酷く教会を嫌う事だった。自分が行くのは勿論、男が礼拝するのも許さない。無理に行こうとすれば日頃あれだけ大事にしている美しい髪を引き抜きながら、あられ無く地団駄を踏む有り様だ。そういうときの女の様子は全く尋常ひと通りではなかった。いつもなら見惚れてしまう白い柔らかな手で掻き毟られた髪についた髪飾りの煌めきが反って恐ろしく、流石の男もぞっとする程だった。

仕方なく教会に顔も出さぬままクリスマスも間近になった頃、男が姿を見せない事を心配した牧師が訪ねて来た。
女は雪にも構わずいつもの様に森へ出掛けていて留守だった。

男から女の話を聞いた牧師は、聖書を身に着けるよう勧めた。
それを肌身から離さず祈るよう、何かあった時はすぐ教会を訪ねるよう言い含めると短い祈りの後男に祝祷を与え、牧師は森を横目に帰って行った。

男は常ならぬ牧師の様子に不安になった。何かとんでもない間違いをしでかした様で落ち着かず、女の顔を見るのも怖くなった。
そこで牧師の後を追おうと聖書を手に家を飛び出したところ、丁度森から帰った女と鉢合わせてしまった。
女はこの寒さだというのにだくだくと汗をかき、男を揺すりながら罵り出した。目は横のものが縦になったように吊り上がり、口は耳元に届く程に裂けて見える。
男は叫びながら女の顔に聖書を押し付けた。
家が揺れ、森がざわめく程の大声が上がり、女は男を突き飛ばした。
男はよろめきながら走り出した。身の軽い女に追いつかれる事を恐れながら、必死で教会を目指した。肉の焦げる様な臭いが鼻に纏わりつき、髪でも絡んだ様に足が縺れる。
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