第5章 疫神ーゴールデンカムイ
翌朝、すうすうと物足りない心地で目覚めた賢吉は、フミの姿が見えないのに胆を冷やした。
家の中に人の気配がない。
フミッ、あのバガけ!
賢吉は寝巻きのまま裸足で表へ飛び出した。色付き始めた山の雑木が、薄暗がりの中で仄紅く、仄蒼く、賢吉とフミの小さな家を取り巻いている。肌に馴染んだ二人の景色。
そこに赤剥けがいた。
へらへら笑いながら、血走った白眼ばかりの目で賢吉を見上げている。
ぶら下がった両手から、血の混じった腐汁がタラリタラリと滴って、フミが毎朝掃き清めている家先の地べたを汚していた。
「・・・この化げモンがッ!!!」
咄嗟に体半分残していた土間の、勝手知ったる壁際から鎌を掴みとる。
力任せにぶん投げた鎌が赤剥けの頬にザックリ刺さった。
「あいいイィィィいいィ、いでェ、いでよ、いででばよおォ。なあなあ、賢吉よおォ~?は、ははははががががが」
名前を呼ばわれた事に、赤剥けが人の言葉を吐いた事に、ドロリと鎌を抜きながら笑った事に、全身の毛穴から冷やらこい汗がドッと噴き出した。
赤剥けは尚もへらへらと笑いながら、血濡れた鎌を投げ捨てた。
「オメのカカ(嫁)だば優し女だあ~。ふひひぃ、ああ、いでェいでェ。はははぁ、いでごどよぉ~。なあなあ賢吉、オメのカカなばなあ~、鎌コくれるどごろがァ、よおォ、オイどこ抱っコしてけだでェ?ぎゃがゃがゃがゃがや、バガけなカカだごどよ~!」
玄関脇の箒を手に取り、赤剥けを思い切り殴り付ける。禍々しさより怖さより、怒りが火の様に先走った。
崩折れた赤剥けの横をすり抜けて、賢吉は根限りに駆けた。
アブラウンケンソワカ、アブラウンケンソワカ、アブラウンケンソワカ、アブラウンケンソワカ
山の忌み避けがぐるぐると頭の中で輪を組んで巡る。走りながら胸で十字を切った賢吉の背中を、赤剥けの声が刺した。
「遅ェ遅ェ。山どこ越えればアッつう間だあァ~今更魔除けなぞ効かねなだ~」
この疫神が・・・ッ
もっと早く気付くべきだった。あれは忌神だ。疱瘡を運んでくる疫病神なのだ。
「よおよお、賢吉いィ~、オメのカカなあど(もう)オイのモンだあ~。他の誰どごもかえねっても(食えなくとも)オメのカカだげは貰っだぞう~あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ」
アブラウンケンソワカ、アブラウンケンソワカ