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【おそ松さん】貴女と愉快な六つ子たち

第8章 どうか無いものねだりでも



言葉が出なかった。

三毛猫をそっとベンチにおろし、私は走った。

気づけば捕まえていた紫、振り返る顔は昔よりもずっと大人になっていて目をまんまるくさせて私を見つめる。

「...え?」

お互いに声が出なくて、ただその場の時間だけが止まってしまったみたいに静かだ。

空は青く、風は冷たく、まだ冬の名残のある季節なのに身体が熱を帯びて震えた。
飛び跳ねる心臓の音のせいだろう。

明らかに困った様子の彼を私は離すことができない。
今離してしまったら、もうきっと出会えないような気がして。

「一松...く」

やっと出た言葉は彼の名前で、発した音は震えていて子猫の鳴き声よりももっと弱々しい叫び声。

つうっと一筋涙が出た。
悲しいからではない、だからと言って嬉しいからでもない、胸の奥深くが泣けと叫んでいる。

どんな事をしてもいいから彼を引き止めろと、そんな卑怯な狡い考えを無意識に身体が実行している。

そんな汚い想いの詰まったそれを、優しくすくう彼の冷たい手。

「...なんで泣くの?」

困った顔をしながら、それでも私の頬を降りていく手は優しくて昔と変わらない。

「...ごめん、こんなクズに触られるの嫌だよね」

ハッとしたように離れていく手。
その手をそっと取って頬に持っていき、やわりとさすらせる。

違うよ一松くん、クズなのは私だ。

「わからない...なんでだろう」

困ったような顔をする男と涙を流す女。
他人からみれば、別れ話かなにかだろうと勘違いするだろう。

そんな踏み入りにくい空気をいとも簡単に壊す時計の鐘の音。
もう少しでお昼休みが終わってしまう。

行かなければと時計を見た後、交互に見合わせた困った顔。

「...行かなくていいの?」

早く立ち去れと言われているように聞こえたのは気のせいだろうか?
久しぶりの再開に胸が弾んだのは私だけだったのだろうか?

「ごめんなさい」

消え入りそうな声が私から出ていった。
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