第8章 どうか無いものねだりでも
そんな帰り道から数日。
教室の片隅で、私はまた本をひらく。
外の冷たさで結露した窓が校庭を霞ませる。
蒼かった木は、すでに枯れ木へと変わって次の蒼を身に纏う準備をしている。
ふうっと1つ息をもらせば、無機質な教室に白い息が消えた。
私達が別れ、その噂が瞬く間に広がりそして興味が失せたように私達にむけられた悪意はなくなった。
けれどポッカリと空いた胸が閉じることはない。
花は頭だけもげば、花弁だけになりバラバラになって消えてしまうと思っていたのに...。
もいだはずの花は私の中で花瓶にいけられている。
忘れる事など...といいたいのだろう。
そのせいか開く本はシェイクスピアのロミオとジュリエット。
恋愛小説はあまり読んだことは無かった。
どうして主人公の二人がこんなに人を愛する事ができるのか、愛とはなんだと、それはしょせん幻想だとそう思う事しかできなかったからだ。
心をどこかに置き忘れているのか、私は冷めた人間だったんだろう。燃えるような恋だのなんだのと、それに溺れる人達を馬鹿にしていたのかもしれない。
一松くんに出会うまでは...。
ラストページに書かれた、ジュリエットが死に際で叫ぶ台詞をポツリと零す。
「なぜ、私の分も毒を置いてくださらなかったのですか...」
もう死んでいると思っている人間に残すものなど何も無い。死んで一緒になろうだなんて、なんて馬鹿なのだろう。
己の胸を刺して、自ら溢れる想いに染まって息絶えるジュリエット。
「死後の世界があるかなんて、誰にもわからないのに」
それでも、この世界で結ばれなかった二人にはそれしか道がなかったのだろう。家も世間体も何もかも捨てて、共に生きたいと願った二人。
その行為を愚かだと罵るのは、以前の私だろうか。それとも、そこまで相手に溺れる事のできなかった今の私の悔しさからだろうか?
どちらにせよ今の自分を否定されているかのようだ。
パタリと閉じた本の上、藤色のブックカバーにポツリと落ちた水滴がじんわりと染みていった。