第5章 雨催い
悩んで、時間をかけて、前田が箸に手を伸ばす。わずかに震える手先が、彼の葛藤や緊張を伝えてきた。
前田はだし巻きを箸で割り、一口サイズにしたものを口へ運んだ。俺も、そしておそらく鶴丸も、緊張で息がとまる。
小さな口に、黄色い塊は消える。租借。喉が動いて、彼が飲み込んだことが分かる。一口。再び箸が食事に伸びる。二口、三口。迷い含んでいた箸は、速度を上げ迷いなく食べ物を掴んでいく。
無言で食べ続ける前田に、思わず訪ねた。
「どうだ…?」
前田は箸を一度止め、口の中のものがなくなると、ゆっくりと、小さな声で答えた。
「おいしい……」
心の底から出た声だった。
「おいしい、です…」
今度は、はっきりと。
前田は再び箸を動かす。その目には涙が浮かんでいた。やがて膨らんだ雫はまつげの堤防を越え、ぼろりと頬を滑り落ちた。それは次から次へ、流れていく。
「あったかくて、やさしい味がします」
しゃくりの間に、前田がつぶやいた。その言葉に、思わず笑みが零れおちる。隣に座る鶴丸を盗みみれば、ほっとしたような表情で前田を見つめていた。その瞳が揺れていたのは、きっと気のせいなんかじゃないだろう。