• テキストサイズ

短編集【庭球】

第16章 エゴイストの恋〔手塚国光〕


もともと「私がやっておいたから」なんて自己申告して恩を売るつもりなんて、さらさらなかった。

責任感の強い彼のことだから、自分の仕事は自分ですべきと思っているだろうし。
それに、もし私なら、異性の友達に寝顔を見られるのは恥ずかしいし。
手塚くんが「てっきり途中で寝たと思っていたが、どうやら最後まで書き切ってから力尽きたようだな」と思ってくれればいいな、というくらいの、私の自己満足でしかなかったのに。

それに、あのパンフレットを見てしまった手前、ますます名乗り出るのは避けたい。


どうやって誤魔化そうかと考えを巡らせているうちに、扉に近い席のクラスメイトから「林ー、手塚が呼んでるぞー」なんて声がかかってしまった。



「おはよ、珍しいね。急ぎの仕事でもあった?」


何も知らないようなふりをして、廊下へと出た。
自分でも驚くほど自然で、女優になれるかもしれないと思った。


「いや、昨日のことだ」
「昨日?」
「ああ。書類を書いている途中に居眠りをしてしまっていたんだが、起きたら書類が出来上がっていたんだ。林が書き上げてくれたのではないかと思ってな」
「え? 私じゃないけど…手塚くん、自分でやったのに寝ぼけてたんじゃない?」


我ながら気の利いた返しだなんて思っていたら、手塚くんが少しだけ困ったような顔をした。


「サイン欄だけが空欄になっていたから、それはないんだが…」
「…そっか」
「付箋に見覚えがあったんだ。議事録にも何枚か貼っていただろう」


手塚くんが差し出してきた手のひらに、青い矢印型の付箋が張り付いていた。
しまった、痕跡は残さないようにしようと思っていたのに。

あっけなく言い逃れできない状況に追い込まれて、私は両手を挙げる。


「お手上げ。やっばり手塚くんには敵わないな…っていうか、私がヘマしちゃっただけか。もっと上手くやらなきゃいけなかったよね」
「いや、本当にすまなかった」
「水臭いなあ、困ったときはお互いさまでしょ。私は帰宅部だから手塚くんみたいに忙しくないし」
「いや、それにしても…」
「あーもう、この話はおしまい! 済んだことなんだから気にしないで。あ、もう謝っちゃだめだよ!」


もう一度頭を下げようとする彼を制した。
少し開きかけた唇を閉じたのは、きっとまた謝罪の言葉を口にしようとしたのだろう。
/ 538ページ  
スマホ、携帯も対応しています
当サイトの夢小説は、お手元のスマートフォンや携帯電話でも読むことが可能です。
アドレスはそのまま

http://dream-novel.jp

スマホ、携帯も対応しています!QRコード

©dream-novel.jp