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短編集【庭球】

第74章 Flavor of love〔亜久津仁〕


* *


久しぶりの酒の席に気を張っていたからか、ソファで一息ついたら急に眠気が襲ってきた。
欠伸を連発していたら、呆れたような表情の仁に「さっさと風呂入ってこい、酒臭え」と容赦なくデコピンされる。
それでも渋っていると「俺と一緒に入りてえのか」と抱き上げられそうになって、慌てて立ち上がった。

会社の飲み会でよく使う店から歩いて三十分ほどで着く彼の部屋には、飲むたびにこうして泊まっている。
私の歯ブラシやちょっとした化粧品なんかを置き始めてから、もうずいぶん経つ。

脱衣所でのろのろと服を脱いでブラジャーのホックに手をかけたとき、クローゼットから下着と部屋着を取ってくるのを忘れたことに気がついた。
もう一度服を着るのが面倒で下着姿のままリビングへ戻ると、仁がぎょっとしたようにこちらを見た。


「おい、なんつー格好晒してんだ、襲うぞコラ」
「ごめん、着替え忘れちゃってさ」
「わーったよ、持ってくからさっさと入っとけ。冷えんだろーが」


ありがとう、と言い置いて脱衣所へ引っ込む。
シャワーを浴び始めて程なくすると、すりガラスの扉の向こうに仁の影が見えた。

仁は強面で愛想はないし口も悪いけれど、その実底抜けに優しい人だと思う。
今も、怒っているようでいて私の身体が冷えないようにと心配してくれる。
だからこそさっき、意図せずして結婚を迫ったようになってしまったことに、言いようのない申し訳なさを感じるのだ。
優しくて義理堅い彼の良心を焚きつけて結婚に持ち込もうとするような、そんなずるい大人にはなりたくないのに。

バスタブに身を沈めながら、早く出ないと今度は逆上せたんじゃないかとまた仁を心配させてしまうだろうな、なんて考えた。
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