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短編集【庭球】

第66章 Flavor of love〔幸村精市〕


「…絶対なんてないっていうのは、俺が一番知ってるつもりなんだけどね」


耳に髪をかけてくれたあたたかい手が、するりと頬へ下りてくる。
私を覗き込む精市の瞳の深い藍色が不意に濃度を増して、その力強さに思わず息を飲んだ。
苦しいのはきっと息を詰めているせいだけではなくて、お腹の底で澱のように淀む感情が有害なものだからだと思う。
できたのは、なんとか無言で頷くことだけだった。


「今までもそうだったけど日本にいられないことも多いし、淋しい思いをさせるかもしれないけど」
「…うん」
「一生大事にする、っていうのだけは、絶対だ」


明日皆の前で言うのは照れくさいからね、と続けた精市は、ふっと表情を緩めた。
絶対。
その言葉の重みは、とても心地よかった。
世界に一つだけ「絶対」があるとするなら、あるいは一生に一度だけ「絶対」が使えるとするなら、私も迷うことなく精市を愛することを選ぶよ。
そう伝えると、精市はとても嬉しそうに笑った。





「電気消すよ」という言葉の直後、足元の常夜灯を残して照明がすべて消えた。
私の少し横でベッドのスプリングが少しきしんで、精市が隣で寝転がったのがわかる。
そっと手を伸ばすと「もっとこっち来てよ」とその手を引かれて。
枕ごとずるずる移動すると、待っていたと言わんばかりに抱きしめられた。
いつもと違う、ホテルのアメニティのシャンプーの香りがして、それは私も同じなのだと思うと少し照れくさい。


「明日のドレス、どんなのかなあ」


ドレスは自分一人で選んだ。
というか、ドレスも含めて式の準備はほとんど私が一人でこなしてきた。
精市はツアーが始まると日本になかなか帰ってこられないし、帰ってきたときのつかの間の時間を事務作業に使うのはもったいない気がしたからだ。
精市は「一緒に選ぼう」と言ってくれたけれど、海外には「結婚式までに花嫁姿を見てしまったら幸せになれない」という言い伝えもあると聞くし、と説き伏せた。
何度も試着を繰り返して悩んだ挙句、オーガンジーを幾重にも重ねたエアリーなドレスに決めたのは、三か月ほど前のこと。
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