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短編集【庭球】

第63章 たとえば君が〔白石蔵ノ介〕


前に蔵のリクエストで植物園でデートしたとき、見知らぬ花を指差しながら「これ綺麗な花やけど毒草やねん、フクジュソウ言うてな…」と語り出した蔵の口調は、テニスの話をしているときと同じくらいいきいきとしていた。
横顔を盗み見ると、まるで恋人に向けるような甘い眼差しを「フクジュソウ」なる花に注いでいて。
私こんなに愛おしそうに見つめられたことあったっけ、と一抹の淋しさを感じたのだ。

他に見たいものがあるわけではないし、と図鑑の後ろの索引でフクジュソウを引いてみる。
植物園で見たのは鮮やかな黄色だったけれど、白い花をつける品種もあるらしい。
蔵はどちらが好きだろうか。
花のみならず図鑑の写真にすら嫉妬している、なんてとても言えないけれど。
ライバルのことを一人こっそり調べるなんて、ストーカーにでもなった気分──


「…ここにおったんか」
「ひッ!」


無防備だった耳元に急に声が落ちてきて、縮み上がるのと同時に、声にならない声が出る。
後ろから声をかけてきた主が蔵だと気がついたときには、私は蔵と本棚との間に閉じ込められていた。
私の背中に覆いかぶさるように本棚に腕をついた蔵は、「荷物置いてあんのにおらへんから捜したで」と声を潜めた。
心臓がやたらと早鐘を打っているのは、驚いたせいでもあるし、抱きしめられているように感じてしまうこの体勢のせいでもあると思う。
それにたぶん、おかしな嫉妬を拗らせていた後ろめたさも。


「ご、ごめん」
「一回声かけたんやけど気づかへんし…えらい熱心に何読んでるん?」


私の肩越しに図鑑を覗き込んだ蔵は「へえ、これ読んでたんか」と少し驚いたように言って、それから「俺の聖書や」と笑った。
四天宝寺のバイブルと呼ばれる蔵にも聖書があるなんて。
私がそう言うと、蔵は「俺かて好きな本くらいあるわ」と私の肩口に顎を載せた。
蔵の髪が首筋や耳を撫ぜてくすぐったい。
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