第60章 秘密の花園〔幸村精市〕*
彼女に背を向けて、バスルームに向かう。
悔しいけれど、忙しくてバイトもままならない俺の収入源は、大学生活に支障が出ない程度に参戦しているテニスの大会の賞金だけだ。
自分の年齢をこんなにも疎ましく思う日が来るなんて、思ってもいなかった。
あと一年。
あと一年経てば、俺だって。
時間が何倍速かで過ぎ去ればいいのにと、ありもしないことを願った。
* *
精市は今日も、エントランスのインターホンを鳴らした。
いつもと同じように玄関ドアを押し開けると、踏み入れてきた精市は久しぶりに巨大な花束を抱えていた。
「また優勝したんだ、すごい花束! おめでとう」と言いながらスリッパを出したところで、彼の靴が目に入る。
ぴかぴかの革靴だ、いつもはスニーカーやデザートブーツを履いていることが多いのに。
それに、つい花束に気を取られてしまっていたけれど、服装も普段とは違っていることに気がついた。
「何かあったの? スーツなんて珍しい…初めてじゃない?」
「うん、ちょっとね」
電車にリクルートスーツの大学生があふれた時期にも、あっさり内定が出たらしく就活をほとんどしなかった精市のスーツ姿を見るのは、初めてのことだった。
ダークブルーのネクタイが精市の雰囲気によく似合っていた。
いつもなら私に花を渡してくるタイミングなのだけれどそうはせずに、そして靴を脱ぐそぶりも一向に見せずに、精市は曖昧に笑った。
すっと伸びた背筋に漂う緊張感が、こちらにも伝わってくるようで。
何だろう、この不安は。
怖くなって視線を思わず下に落とすと、主を待ちわびるスリッパが目に入った。