第60章 秘密の花園〔幸村精市〕*
一人暮らし用の手狭なキッチンで花を活ける渚さんの、凛とした真剣な表情が好きだ。
手元を見るふりをしながら、横顔を眺める。
彼女の「ね、本当。あなたが手間暇かけて育てたからだと思う」という言葉を聞いて初めて、自分の口から「綺麗だなあ」と気持ちが漏れていたことを知った。
「違うよ。ダリアじゃなくて、渚さんが綺麗だって言ったんだ」と言ったのは、もちろん本心。
照れたような、それでいて怒ったような、彼女のそんな不思議な表情も、ハサミを持つ華奢な指先も、すべて俺だけのものであってほしい。
渚さんは、テニスのことをほとんど知らない。
俺が中学の頃から日本代表に選ばれていること、大学を卒業するタイミングでプロに転向する予定だということも。
そんな上っ面ばかりを見て寄ってくる女はたくさんいたけれど、彼女は違う。
全日本選手権やジャパンオープンで優勝したときにもらった大きな花束もこの部屋に持ってきたけれど、彼女はインカレの団体戦か何かで優勝したと思っているようだった。
それが心地よくもあり、そして同時にとても不安になる。
俺からテニスを取ったら、俺の魅力はどこにあるのだろうと。
彼女は、俺の何がよくて一緒にいてくれるのだろうと。
俺の不安を知ってか知らずか、ダリアを玄関に飾ってくれた彼女を、後ろから抱きしめる。
しなやかな首筋に口づけると、彼女は俺の腕の中でくすぐったそうに身体をよじった。
「逃げちゃダメ、こっち向いて」
俺の言葉に従って、本当にこちらを向いてくれた渚さんは、頬を紅潮させて、瞳も潤ませていて。
ああもう、そんな顔されたら今すぐめちゃくちゃにしたくなる。
気持ちばかり逸る自分を戒めるように、わざとゆっくりと、彼女の唇に舌を這わせた。