第58章 Hello, again〔佐伯虎次郎〕
当然のことながら、とてつもなく人気があった。
三年生の春、お花見会の劇で演目が「ロミオとジュリエット」に決まったのも、女子全員が彼のロミオを見たかったからだった。
非のつけどころなく完璧にロミオを演じきった佐伯くんに誰もが心の底から見とれて、自分がジュリエットならよかったのにと甘いため息を吐いた。
大げさでもなんでもなく、学校中の女の子たちがみんな、佐伯くんに恋をしていた。
私も他の子たちと同じように彼に惹かれたうちの一人だったけれど、他の子たちと同じように「サエ」と呼ぶ勇気すらない臆病者だった。
二年生のときに一緒のクラスになれたことで、呼ぶ権利もチャンスも、どちらも十二分にあったというのに。
彼の一挙手一投足に大っぴらにきゃあきゃあと騒ぐことも、もちろん連絡先の交換も、夢のまた夢だった。
その時点でもう失恋しているじゃないかと、今なら言えるけれど。
彼の活躍を遠くから眺めてはうっとりとため息を吐く、それだけでも充分幸せだと思えるくらいに、当時の私は無知だった。
いっそのこと玉砕覚悟で告白して、こっぴどく振られておけばよかったと。
そう思うようになったのは、中学を卒業してからだ。
佐伯くんのいない高校生活は、灰色だった。
どうして中学のときに何も行動を起こさなかったのかと、私はひどく後悔した。
東京に出れば彼に代わるような素敵な人がいるかもしれないだなんて安直すぎる思いつきのもとに、他人よりも少しだけできた勉強にひたすら打ち込んだ。
けれど、志望校に無事合格して東京に住むようになっても、そんな人はどこを探してもいなかった。
当たり前だ。
ずっと恋い焦がれてきた人の代わりなんてそう簡単に見つかるわけがないのに、どうしてそんな単純なことに気がつかなかったのだろう。
大学一年の春、想いを告げることさえないまま、こうして私は再び、佐伯くんへの恋を失った。
早くも夢破れた、そんな思いで帰省したゴールデンウィーク。
彼の思い出や記憶はすべて、ここに置いていこうと決めた。
生まれ変わりたかった。
臆病な自分から。