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短編集【庭球】

第57章 チョコレート・ブルース〔日吉若〕


そっと部室に入ると、忍足だけが筋トレをしながら残っていた。
忍足は何かを言いかけたようだったけれど、私の顔を見て「泣いてたんやな」と苦笑して、私にソファに座るよう促してきた。


「日吉と何かあったんか?」
「まあ…そんな、とこ」


断片的だっただろう私の話を、忍足は立ったまま、何も言わずに聞いてくれた。
圧迫感のないその距離感に安心したのか、残っていたらしい涙が、また流れ落ちた。
忍足は「顔、ひどいで」と言いながら、私の涙を拭った。


「顔、近いんですけど」
「これが俺のデフォルトやで」
「言っとくけど忍足、あんた顔がいいからってここまでやったらセクハラだから」
「はは、相変わらず減らん口やな。泣き止んでから言い」


日吉のあの表情を思い出すだけで泣いてしまいそうな今は、軽口を叩かせてくれる忍足に感謝しなければいけないと思った。




次の日、私は珍しく好戦的だった。
昨日の帰り際に忍足が言った「思い違いかもしれへんし、明日もっぺん話しかけてみたらどうなん?」という言葉に賭けてみようと思っていたのだ。

このまま疎遠になってしまったら、恥ずかしさも手伝って、本当に話せなくなってしまう。
何もないところから世間話を始めるのはハードルが高いけれど、以前のように誰かから追われていれば、なんとか勢いで日吉の背中を借りられる気がした。

ラッキーなことに朝練後、岳人が昨日の続きの喧嘩をふっかけてきてくれたから、遠慮なく買わせてもらった。
今日ばかりは岳人に感謝だ。
二言三言やり合ったあと、手早く制服に着替えてラケットバッグに手をかけていた日吉の後ろに、名前を呼びながら回り込んだ。

爆発しそうなくらいに高鳴っている心臓を、褒めてあげたい。
やればできるじゃん、そんなことを思ったとき、日吉が振り返りながら口を開いた。


「俺じゃなくて」
「ん? 何か言った?」
「…忍足さんに守ってもらえばいいじゃないですか」
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