第57章 チョコレート・ブルース〔日吉若〕
手洗い場に向かって、ジャグを洗う。
部室はあんなに豪華な設備なのだから、外にある水道もお湯くらい出てもいいのに、榊先生も跡部も本当に気が利かない。
いや、ジャグの数まで気が回らない私が言えたことではないけれど。
冷たい水で手が限界を迎える直前にジャグを洗い終えて、タオルで拭き上げる。
ふとコートに目をやると、集団の隅で榊先生の話を聞く日吉を見つけた。
私の視線に気がついたのか、日吉がこちらを見た。
久しぶりに目が合った、と思った。
心臓がふわりと浮き上がるような高揚感。
近くにいると恥ずかしいけれど、このくらい離れていればしばらく視線を外さずにいられそうだ。
そう思った、瞬間。
日吉がぎゅっと眉根を寄せて、私を睨んだ。
「…え」
日吉の表情を一言で表すなら、嫌悪、だった。
こんな顔は見たことがなかった。
私の視線が迷惑だと苛立っているのだと思った。
どこまで嫌われてしまっているのだろうか、私は。
ぽろ、と手元に雫が落ちてきた。
それが涙だとわかると、堰を切ったようにぼろぼろと流れてきた。
部活中に泣くなんて何をしているんだろう、そう思うのにまったく止まってくれない。
コートに背を向けながら部室まで走って、大急ぎでジャグを片づける。
部員が入ってくる前に部室を出て、トイレに向かった。
一番奥の個室に駆け込んで、声を殺して泣いた。
嗚咽が落ち着くまで、どれくらい時間がかかっただろう。
本当は部室に行かずにこのまま帰ってしまいたいところだけれど、そうもいかない。
さすがに部員のほとんどは帰っているはずだと、ゆるゆるとトイレを出た。
部室まで歩く途中、タン、タン、とテニスボールの軽快な音が聞こえてきた。
きっと宍戸と長太郎だろう、ご苦労なことだ。