第57章 チョコレート・ブルース〔日吉若〕
要点だけの短い話が終わると、そのまま解散になった。
俺は自分の煩悩を振り払いたくて、樺地を誘って自主練することにしたのだけれど。
コートの照明を点けてしばらく打ち合っていると、ガットが派手な音を立てて切れてしまった。
つい一週間前に張り替えたばかりなのに、やっぱりコイツのパワーは半端じゃない。
舌を巻きつつ、替えのラケットを取りに行くと断りを入れて、小走りに部室に向かう。
あと数メートルで部室の扉に手がかかる、というとき。
何の気なしにふと覗いた部室の窓、その向こう。
こちらに背を向けて立っているのは、髪型からして忍足さんか。
その奥にちらりと見えたのは、ソファに腰かけている林先輩だ。
また一緒にいるのか。
何を話しているのだろう、それにしても距離が近すぎないか?
腹の底でそんな苛立ちを覚えた、瞬間。
忍足さんが右手で先輩の頬に触れて、そのまま腰を折るように顔を近づけて──
「…え」
雷に打たれる、まさにそんな衝撃で。
惰性で動いていた足がぴたりと止まる。
なんで、キスなんかしてるんだよ。
なんで、忍足さんなんだよ。
なんで、なんで、なんで。
脳みそが抜け落ちてしまったように上手く回ってくれない頭で、それでもここで覗き見ていたのがバレてしまったらまずいだろうなんてことだけが頭に浮かんで。
条件反射のように、部室にぐるりと背を向けた。
固い地面を踏みしめているはずなのに、妙に足元がふわふわと柔らかく感じた。
制服に着替えて帰りがけだった準レギュラーの一年を「おい、ちょっとラケット貸してくれ」と呼び止めた声は、震えていた。
その理由は悲しみなのか怒りなのか、それが誰に向けての感情なのかも、何もかもわからない。