第54章 冷たい手でもいいよ〔財前光〕
「ごめん、もう少し」
「まだなんや…」
「ほんとごめん、急ぐね」
もう一度謝りながら手元に視線を戻そうとしたとき。
私の耳は「あーもう、トロいなほんま」という小さな小さな声を、拾ってしまった。
財前としてはきっと独り言のつもりだったのだろう。
再びヘッドホンをつけるその仕草は、早くしろと言外に告げているように見えた。
心臓をぎゅうと鷲掴みされたような痛みを感じながら、唇を噛んだ。
トロい、とはまたずいぶんな言われようだ。
思い返してみると、二人での買い出しを仰せつかったときも、財前は「はあ、まあしゃーないしええっすけど」とぼそりと言っただけだった。
私は内心舞い上がってしまうくらい嬉しかったし、今の今までとても楽しみにしていたのだけれど。
財前の口の悪さとローテンションを差し引いても、脈がないどころか、私はどうも嫌いな人間の部類に入ってしまっているらしい。
「……財前のばーか」
ぽつりとそう呟くと、急に鼻の奥がつんと痛くなって、涙だけはこぼすまいと慌てて奥歯を噛みしめる。
どこかに感情をぶつけないと本当に泣いてしまいそうな気がして、力任せにボールを握ったら、黄色のフェルトに爪が食い込んだ。
凹まないからこのボールは大丈夫、次のボールは──
「今の、撤回してや」
「…ひゃっ?!」