第53章 背中合わせのプレリュード〔日吉若〕
「日吉ってば冷たーい。もう少し優しくしてくれてもいいんじゃない? こーんなに片づけてあげたのにー」
普段なら、せっかくの俺の決意を削ぐような笑顔を浮かべるところなのに。
おどけたように両手を挙げて俺から離れた先輩は、少し拗ねたようにそう言った。
きちんとお礼をしていなかったことに気がついて、しまったと思いつつ、頭を下げる。
「…あの、それについてはありがとうございました。綺麗に使います」
頭を上げて先輩の表情を伺ったとき、その向こうにこちらを眺めながらにやつく忍足さんが見えた。
そんなに他人のことばかり見ていたら足元すくわれるぞ、と内心で毒を吐きながら、見られている手前やっぱり気まずくて「でも、掃除の件と向日さんの件とは話が別でしょう」と突き放す。
頬を膨らませながら「日吉のケチ!」なんて騒ぐ先輩に「ケチで結構です」と返しつつ背を向けて、部室を出た。
後ろ手に閉めたドアに背を預けて、小さなため息を吐く。
一年の頃から日々繰り返されるこの一連の流れは嫌いではないけれど、俺の気持ちをまるで理解していない先輩と、一歩たりとも進展していないこの関係に、少しの苛立ちを感じているのも事実で。
それが俺を、一層頑なにさせるのだった。
絶対に言ってやるものか。
いなくなってしまった背中の体温が、もう恋しいだなんて。
明日も明後日も、俺の背中を使ってほしいだなんて。
次の日は新人戦の抽選会で、部活には出られなかった。
自分が部を率いて初めて迎える大会になる。
不甲斐ない結果は残せないと気を引き締めながらも、俺がいない中、今日の先輩はどうやって追っ手から逃れているのだろうか、と浮ついた考えが頭をかすめた。
…こんなときに何を考えてるんだ、俺は。
平常心、精神統一、なんて試合前のようなことを念じて、流れるように淡々と話す司会者の話に無理やり耳を傾ける。
テニスをしなかった分あり余ってしまった体力を、今日は古武術の稽古に費やそうと決めた。