第53章 背中合わせのプレリュード〔日吉若〕
途端に歯切れの悪くなった岳人が、小さく「クソクソ、まーた日吉の後ろかよ」と苦い顔をした。
こうなったら私の勝ちだ。
いまだ怒りが収まらないと言うように舌打ちをしながら手近なところにあったソファを蹴飛ばした岳人を、今度は跡部が「おい、俺様のソファを足蹴にするとはいい度胸だな、アーン?」と呼び止める。
日吉の肩越し、それを優越感とともに見送りながら「あはは、踏んだり蹴ったりね」と思わず吹き出した。
日吉の後ろはいつも平和だ。
今日みたいな岳人や宍戸との喧嘩だけではなくて、跡部と滝によるお小言と嫌味、果ては忍足のセクハラに至るまで。
嫌なものや面倒なものに追われたとき、私は決まって日吉の後ろに逃げ込む。
罪のない後輩を巻き込むことが躊躇われるのだろう、みんなある程度のところで諦めて、引き上げていくのだ。
後輩という点では長太郎もいいけれど、対宍戸となると途端に使いものにならなくなる。
樺地も同様、跡部にだけは驚くほど忠実だから、私にとっては欠陥品も同然。
翻って日吉はオールラウンダーとでも言おうか、おそらく顧問の榊先生を除けば誰に対しても万能で、効果てきめんだった。
日吉の入学前には数々の難敵たちをどうやってやり過ごしていたのか、もはや思い出せないくらい。
完全にへそを曲げた岳人が部室から出ていくと、日吉がちらりと首をひねってこちらを見た。
「もういいですよね」
ため息混じりの声と、切れ長の瞳から繰り出される半分睨むような視線は、いつものこと。
この凛とした佇まいが、私の敵どもをやっつけてくれているのだろうなと気がついたのは最近だ。
日吉にとってははた迷惑な話なのだろうし、私は私で申し訳ないなと心の片隅で思いつつも、利用価値の大きさと居心地のよさには代えられずにいる。
日吉の鋭い視線に、私が大きく一歩離れてから負けを認めるように軽く両手を挙げる、これもいつものこと。
ごめん、とは言わない。
これからも心置きなくこの背中を使うつもりでいるからだ。