第51章 Flavor of love〔財前光〕
隣を歩いていた渚先輩が突然、きょろきょろ辺りを見回して、満面の笑みを浮かべた。
「わあ、金木犀だ! いい匂い〜」
「…キン…?」
キンモクセイ、という単語に、うっすらと聞き覚えがある気はするのだけれど。
「金」と聞くと、どうも生意気な後輩の顔が手繰り寄せかけた記憶をぐいぐいと押しのけてきてしまって困る。
数秒後、先輩が「この木だよ、金木犀」と民家の庭木を指差したのと、俺が単語の意味を思い出したのとはほぼ同時だった。
「花咲いてるでしょう、小さいけど」
自分一人なら存在に気がつきもしなかっただろう、橙色の小さな花。
顔を近づけて香りを楽しみながら、先輩は「この匂い嗅ぐと、秋だなあ、もうすぐ冬だなあって思うの」と続けた。
よう見てんな、歩いててええ匂いに出くわすなんてたこ焼きくらいなもんやろ、と内心驚く。
先輩のこういう女子っぽいとこ、ええよな。
テニス部のマネージャーの仕事を文句一つ言わずにこなすところも、くるくる表情が変わるところも、いまだにキスで恥ずかしがって顔を真っ赤にするところも、彼女のことはまるごと大好きだけれど。
彼女が時折のぞかせる、女の子らしい繊細な感性を、俺はことのほか気に入っている。
もちろん、そんな小っ恥ずかしいことは言ってやらないけれど。
「ほーん…」
「うわ、反応薄いー」
「花は守備範囲外っすわ」
悟られないよう、つとめて冷静に。
ようやく鼻をかすめた花の香りを飲み込んで「だだ甘い匂いも好きやないし」と抑揚なくつけ足すと、先輩はしゅんと萎んだように表情を陰らせた。
──少しやり過ぎたか。
そんな顔をさせたいわけではなかったと反省して、たこ焼きのがええ匂いやないすか、と俺にしては珍しく笑いに走ろうと口を開けたとき。
先輩の方が一足先に、ぽつりと呟いた。