第43章 えそらごと〔柳蓮二〕
「…よく知ってるね、そんなこと」
「データを集めるのは日課だからな。で、どうしてまた石油王と?」
いつの間にかカードをすべて書き終えたらしい柳が、ほんの少し首を傾げて私を見下ろす。
まさか本当のことを言えるわけもなく「うーん、だって華やかそうだし…とりあえず一生食うには困らないでしょう」なんて、場当たり的すぎる薄っぺらな返答。
「だが、一夫多妻制だろう」
「うん、まあそれも仕方ないかなって」
「サウジの王族は、正妻が十人まで認められているらしいぞ」
「十人? 知らなかった…ってさすが柳、詳しいね」
「受け売りだ」
返却する本の山の一番上、イスラム圏の歴史が書かれているのだろう分厚い本にぽんと手を置いて、柳はふっと笑った。
穏やかな、けれどすべて見透かされてしまいそうな鋭い視線から逃れたくて思わず脚を組み替えると、年季の入った椅子がぎい、と音を立てた。
「妾に至っては人数に制限がないようだから、極端な話、五十番目ということもありうる」
「五十番目の奥さんか……なんか気が遠くなりそう」
「仮にそうなれば、夫の石油王と会えるのは二か月に一度あるかないかだろうな」
ああ、どうすればこの話題から離れられるのだろう。
仕入れたばかりの新鮮な情報を、柳はきっといつものように親切心で教えてくれているのだろうけれど、今の私にはそれがとても痛い。
石油王と結婚はおろか、アラブの国に行く気さえ、これっぽっちもないのに。
「うーん、それは少し淋しいかも…っていうか一般庶民の私が石油王なんて、夢見すぎで何言ってんだって話なんだけどね! あはは…は、は」
笑い飛ばしてしまおうと無理やり笑ってみたけれど、柳はあまり笑ってはくれなかった。
思わず手元へと視線を逸らして、途中だったスタンプを押す作業を再開する。
今度は枠からはみ出さないように、丁寧に。
名前も顔も知らない、言葉も通じないアラブの石油王と結婚することより、今目の前にいる柳と付き合うことの方が、私にはよっぽど難しく思えた。