第36章 さよならを言うのなら〔跡部景吾〕
たとえ頻繁に会えなくても、時折声を聞くだけでも、景吾の存在は私にとって心の支えだった。
景吾が電話を切る前に毎回「無理しすぎるなよ」と言ってくれる、その言葉だけで踏ん張れた。
海の向こうで景吾も頑張っているのだと言い聞かせると、テニスをしていた頃に必死に戦っていた景吾の姿を思い出すと、ぼろぼろになるまで働いてガス欠のはずの身体が不思議と動いた。
けれど仕事がきつくなるにつれて、自分の中の景吾にどんどん依存してしまって。
そんな自分が危うくて、怖かった。
大きく息を吐いて、シャワーを止める。
バスタオルで髪を拭きながら、せめておいしい紅茶くらいはと、キッチンへ向かってケトルを火にかけた。
青く揺れるガスの炎を、ぼんやり見つめる。
恋人だと思っているのはもしかしたらもう私だけで、景吾はとっくの昔に他の女の人を見つけているのかもしれないと思ったし、景吾もそれを望んでいるのではないかという気がした。
景吾が輝けば輝くほど、その功績はニュースとして私の耳に入ってきて、そして私が走れば走るほど、私たちの距離はどんどん離れていくようだった。
景吾の隣に並んでも恥ずかしくないようにと頑張ってきたつもりだったけれど、到底追いつくことなんてできなかった。
世界を股にかけて活躍する景吾が、私のような平凡な女を選ぶわけがないと思った。
そして私が欲しいと願うには景吾はあまりにも遠すぎて、その願いはどこまでも私の身の丈にはそぐわなかった。
学生時代にも常々感じていたことだったけれど、景吾がいつも近くにいて否定してくれていたから、ここまで気にならなかったのだと思う。