第35章 幸運か、それとも〔千石清純〕
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あの日を境に朝の電車が重なることもなく、連絡も取っていなかった彼氏から「テストが終わったから会おう」と電話があったのは、十日後のことだった。
次に会うときは別れようと決めていたくせに、いざ顔を合わせるとなると、自分から別れ話を切り出すことができるだろうかと、できたとしても泣いてしまうんじゃないかと、不安が尽きなくて。
帰りの駅のホームで電車を待ちながらいつもに増してため息ばかり吐く私に、キヨは見かねたのか「どうしたの? 幸せ逃げちゃうよ〜」と相変わらずの軽いトーンで尋ねてきた。
聞かれたところで答える義理はないし、相談なんてする気もなかったのだけれど、不思議なことにこいつには嘘が吐けない。
手短に不安を感じていることを伝えると、キヨは意外と真剣な表情で頷いて。
「渚ちゃんの今日のラッキーカラーは水色だから、これ持ってれば大丈夫」と、制服のポケットから水色のチェック柄のタオルハンカチを取り出して、私に握らせた。
「励ましてくれるんだ」
「そりゃあ、ね」
「なんで?」
なんで私なんかと一緒にいるの、という意味も込めた問いに、キヨは少し逡巡したような様子で「俺の持論だけど」と前置きした。
「女の子はみんな、幸せになる義務があると思うんだ」
「…そう、かな」
「そうだよ。だから笑って?」
根拠なんてなくてもいいから、後押しと自信が欲しい場面は、ときどきあるけれど。
こいつが大丈夫だと言ってくれると、どういうわけか本当に大丈夫かもしれないという気がしてくる。
ラッキーカラーなんてそもそも気休めでしかないと思っているのに、だ。
「ハンカチくれるから、てっきり泣けってことかと思った」
「そういうわけじゃないよ! ごめん、たまたま水色のグッズがこれしかなくて…」
「嘘うそ、ありがと。頑張ってくる」
電車がホームに滑り込んできた音にかき消されたかもしれないけれど、小さくお礼を言った。
彼氏と待ち合わせた公園へ向かうその電車に乗り込んでホームを振り返ると、キヨが手を振っていて、その唇の動きは「頑張れ」と言っているらしかった。
こいつに心の底から感謝するのは初めてかもしれないと思いながら、握らされた水色を握りしめた。