第35章 幸運か、それとも〔千石清純〕
青天の霹靂という言葉は、きっとこんなときのためにあるのだと思う。
「わ、渚ちゃん? 偶然だなあ」
街を歩いていたら、聞き覚えのある声が後ろから聞こえて。
私の下の名前を呼ぶ男子なんていただろうかと思いながら振り返ると、それは何気ない風景と雑踏から浮き出てきたように、真っ先に目に飛び込んできた。
鮮やかなオレンジ頭の、ずっと先。
彼氏の、浮気現場。
生まれて初めてできた彼氏だった。
朝、時折同じ電車を使っていて、私の一方的な一目惚れで。
一つ歳上で、背が高くて、氷帝の制服がよく似合う彼に、玉砕覚悟で告白したのは三か月前。
驚いて戸惑っていたようだったけれど付き合えることになって、私はもうそれだけで天にも昇る心地だった。
そもそも朝の電車しか接点のない私たちは、お互いのことを何も知らなかったけれど。
私は一緒に電車に揺られる二十分足らずの時間がとても幸せで、とても大切だった。
一昨日、週末の予定を尋ねたら、彼は「もうすぐテスト期間だから忙しいんだよな」と言って、それから「ごめんな」と謝ってくれた。
それが嘘かもしれないだなんて露ほども思わずに、眉尻を下げて困ったように笑う表情も格好いいな、なんて思って。
顔が熱くなったのが恥ずかしくて「そっか、じゃあまた今度」とかなんとか言いながら目を逸らしてしまった私は、一体なんだったのだろう。
忙しいって、嘘だったんだ。
初めての彼氏に浮かれていたのは、私だけだったんだ。
白いチュールのスカートを穿いたかわいい女の子と手を繋いで映画館に入っていく姿は、もう決定的すぎて否定のしてみようがなかった。
そのくせ見慣れない私服姿にまだ胸が高鳴る自分のバカさ加減が、一番悲しい。