第33章 Bittersweet〔仁王雅治〕
手鏡で、噛まれた跡が残っていないかを確認した。
少し赤い程度でほとんど消えている。
ほっとしたような、けれど少し淋しいような。
髪を整えていたら、隣でその様子を見ていた仁王が、私の手を掴んだ。
「なに?」
「なあ。付き合わんか、俺ら」
「…は?」
「好きなんじゃ」
形のいい唇から紡がれた「好き」に、胸がびりびりと引き裂かれるような気がした。
こんなことを言ってきたのは、三年間一緒にいて初めてのことだったけれど。
好きだなんて、たとえ嘘でも嬉しいけれど。
甘い誘いに乗ってしまいたいのは山々だけれど。
頷くことはできない。
それはつまり、私たちの終わりを意味するから。
「あのさ、それも詐欺、なんでしょう」
できる限りの平静を装って、いっそ冷たいくらいの口調で、さらりと言い放つ。
ちらりと顔を伺うと、仁王は珍しく笑っているような泣いているような、なんとも形容できない表情を浮かべていた。
「信じてもらえんっちゅうのは淋しいもんじゃのう」
「ねえ、自業自得って言葉、知ってる?」
「ピヨ」
「…もう」
ねえ、冗談だったと言って。
いつもみたいに、別れ際には軽く手を振って。
また会いたくなったら、抱きたくなったら、連絡してきてよ。
私は永遠の二番手でいいんだよ。
そうすれば、ずっと一緒にいられるじゃない。
ねえ、お願い。
掴まれた手をそっと振り切って、つついたらすぐにでもこぼれ出してしまいそうな想いを、なんとか胸の内にしまい込む。
蓋をして、何重にも鍵をかけて。
なんでもないような顔を作るのが上手くなったのは、詐欺師を間近で見てきたからだろうか。
仁王はひゅう、と短く口笛を吹いて、私が振り切った腕でゆっくり何度も拳を握った。
「外部受験、するんじゃろ?」
「え?」
「どんなことしてでも好きて言わせちゃろ思っとったが、待ちきれんかった。バレンタインも三回目やけえ、さすがにチョコくらいあるかと思っとったら手ぶらじゃし…正直言って、焦っとる」
これが、惚れた弱みっちゅうやつかのう。
仁王はそう言って、また私の手を取って。
私の前にひざまずいて、ゆっくりキスを落とした。