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短編集【庭球】

第4章 Over the rainbow〔幸村精市〕


「水やり、始めよっか」
「そうだね」
「この前よりゼラニウムがずいぶん咲いたよね」
「ふふ、ここのところ毎日見てるから、かえって変化がわからなくなってきちゃったな」
「ああ、そうだよね。私も幸村がいない間はそんな感じだった」


幸村はしばらく入院していたのと、退院後もすぐにテニスの全国大会があったのとで、ずっと当番を休んでいた。
その間は私がほぼ一人で水やりを続けて。

夏休み明けすぐにあった委員会の集まりで、みんなに苦労をかけたからと、幸村は二か月間毎日の屋上庭園の水やりを買って出た。
当番なんてやりたくないばかりの他のメンバーは、それをあっさり可決。

私が複雑な思いで見ていたら、幸村は「借りを作るのは嫌いだからさ」とこっそり耳打ちしてきて。
吐息交じりの声と、頬に少しだけ触れた幸村の柔らかい髪に、しばらく会えなかった淋しさは吹き飛んだ。
解散したあと「別に可決されなくても毎日やるんだけどね」と笑った彼に責任感の強さを感じて、もっと好きになった。


でも、必ずいるとわかっていて毎日屋上庭園に通うのは、露骨に幸村に会いに行っているようでかえって気恥ずかしくて。
当番に割り当てられている日と、晴れる日をランダムにもう一日選んで、足を運ぶようにしている。




「退院してここに来たとき、ちゃんと手入れされてて、あぁ林が頑張ってくれたんだなって思ったよ」
「そんなことないよ、趣味みたいなものだから」
「林がいなかったら、きっとサボテンくらいしか育たなかったよ」
「あはは、何それ、砂漠化するってこと? そんな屋上は嫌だなぁ」


私が笑いながらシャワーつきのホースを手に取ると、幸村は蛇口に手を伸ばした。
海に近いからなのかすっかり錆びついてしまった蛇口は、私の力では両手でなければ開けられないくらい固いのだけれど、幸村は片手でいとも簡単にひねる。
普段は中性的な雰囲気だから、ふと垣間見えた力強さに、どきりとした。


「力持ちだね、私いつも蛇口開けるの苦労するのに」
「俺、これでもテニスやってるんだけど?」
「知ってるよ、すごく強いんでしょう」
「ふふ、どうかな」
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