第29章 時計じかけの愛〔手塚国光〕
「……うん」
「やはりそうか。…久しぶり、だな」
「よくわかったね」
「当たり前だ、忘れるわけがないだろう」
即座に返ってきた言葉に、思わず目を閉じた。
忘れられているんじゃないかと、もしそうなら完全に吹っ切れるんじゃないかと。
そんなことを少しでも考えていた自分は、バカだったと思う。
あの律儀な国光が、そんなことできるわけないのに。
こういうまっすぐなところがどうしようもなく好きだったのだと、また記憶がひとつ蘇っては苦しくなる。
「十年、ぶり?」
「ああ、そうだな…ここで教えているのか」
「うん。今年から、社会を」
「そうか」
「せっかく淹れてもらったし、どうだ」と、国光は私に、自分の向かいのソファに座るよう促した。
言われるままに腰をおろして、マグカップに口をつける。
湯気の向こうに国光がいる。
会いたくて会いたくて会いたくて、でも会えなくて。
淋しい夜、窓の外に何度名前を呼んでも返事が返ってくることはなくて。
夢にも遠い後ろ姿でしか出てきてくれなかった、その人が。
「…ウィンブルドン、優勝おめでとう」
「ああ、ありがとう」
「忙しいんでしょう、最近よくテレビで見かけるから」
「そうだな。いつまで経ってもテレビは苦手だが」
表情を崩さない国光に困り果てるテレビクルーがありありと想像できて、思わず笑ってしまう。
ああ、十年前もこんなふうに話していたっけ。
交わす言葉は決して多くなかったけれど、ふと訪れる沈黙さえも大切で愛おしくて、ずっと昔から一緒にいたように落ち着けたんだっけ。
そんな人は後にも先にも、国光しかいなかった。
彼氏がいたこともあったけれど、腰を据えて付き合う前に話が続かないのがつらくなって、すぐに別れてしまった。
まだ国光が好きなのだということを自覚するまいと、なんだかんだと自分で理由を後づけしてきたけれど、無意識のうちに国光と比べていたのだと思う。