第29章 時計じかけの愛〔手塚国光〕
*原作の10年後、25歳設定
帰省ラッシュのニュースを横目に見ながら、家を出た。
世間的にはとっくに仕事は納まっていて、もちろん冬休みでもある今日は、いつも混んでいる電車もがらがらで。
静かな街には一足早くお正月モードが漂っている。
キンと冷えた朝の空気を吸い込んで、私は学校の門を開けた。
母校である青学の社会科教諭になって、初めて迎える年の瀬。
部活動の顧問をやっていない私が出勤しているのには、訳がある。
青学OBのプロテニスプレイヤー・手塚国光が、一日限定でテニス部の指導に来るから。
今年、日本人初のウィンブルドン優勝を成し遂げた時の人の母校凱旋。
こんなに絵になるネタをマスコミが放っておくわけもなく、今日はテレビやら新聞やらが大挙して押し寄せてくるらしい。
取材陣への対応と雑用のために、一番の下っ端である私が駆り出されたというわけだ。
職員室にたどり着くと、照明より先に暖房を入れる。
朝一番の学校は気持ちよくて好きだけれど、とにかく寒い。
コートもマフラーも取らずにストーブの前でじっとしていたら、顧問の大和先生がジャージ姿で出勤してきた。
「おはようございます」
「おはようございます、林先生。こんな日にすみません。手塚くんに、今日しか空いていないと言われちゃいましてね」
ネックウォーマーを外した大和先生は、終業式の日よりずいぶん伸びた無精髭を触りながら苦笑した。
「いえ、私も楽しみにしてましたから」
「今一番旬な有名人ですからね」
「ええ。それに手塚選手が来なくても、テニス部は練習してたんですよね?」
「ははは、バレましたか」
「さすが、名門テニス部」
私がそう言うと、大和先生は嬉しそうにはにかみながら、バッグをごそごそと探って何かを取り出した。
「こんな日に出てきてもらったお詫びです」と手渡された可愛らしい包みは、おそらくチョコレート。
「わざわざすみません」と嬉しい驚きと共に受け取りながら、部員たちに差し入れのひとつでも買ってくればよかったと悔やんだ。