第3章 HERO〔切原赤也〕
「雨でも練習があるの?」
「や、今日は筋トレだけ。あんま好きじゃねーんだけど、サボると部長も副部長も怖ぇから」
「怖いんだ?」
「うん、まーじで、ヤバい」
切原くんが不味いものを食べたみたいに苦々しい顔をするから、本当に怖いんだなと笑ってしまう。
学校の壁にテニス部全国大会出場っていう垂れ幕が飾ってあるからすごく強いのは知っていたけれど、やっぱり厳しいのかと思った。
そんなに強い部なのに二年生でレギュラーなんだから、切原くんはどこに行ってもヒーローなんだな、なんて少し眩しいような気持ちになる。
数学の先生って感じが悪いよねとか、この間の英語のテストが難しかったねとか、そんな他愛もない話では妙に意見が合って。
国語の先生のモノマネをしたら予想外にウケて、切原くんは涙を流して笑ってくれた。
切原くんと話していたら、三十分なんてあっという間で。
あと五分もしないうちに、私の家だ。
家がもう少し遠ければ、もう少し一緒にいられるのに。
「ここまっすぐ?」
「あ、次を左なの」
「りょーかい」
気にしないようにしていたけれど、傘を持つ切原くんの右手に、時折私の左腕が触れる。
そのたびに心臓が跳ねて、寿命が縮まるってこういう感覚なのかな、なんて思う。
「あ、林、こっち」
交差点を曲がったところで、切原くんは突然私の肩をぽんと叩いて、立ち位置を入れ替えるように促した。
よくわからないまま左右を交代すると、そこはちょうど歩道がなくなっているところで。
「…ありがとう」
それまでもずっと切原くんが車道側を歩いてくれていたことに、今さら気がつく。
こっそり見上げた横顔が、急に大人の男の人になったようで。
私は、切原くんの傘が紺色だったことに感謝した。
中が少し暗くて、私の顔が赤くなったのもきっと、隠してくれているから。
傘で跳ねる雨粒の音が、訪れた沈黙を紛らわしてくれた。